JR・長浜駅前には羽柴秀吉と石田三成の出会いとなった「三献の茶(三献茶、三杯の茶)」の場面を表した「秀吉公と石田三成公 出逢いの像」があります。
秀吉公と石田三成公 出逢いの像
長浜城主の羽柴秀吉公は、鷹狩の途中に観音寺(米原市朝日町)へ立ち寄りました。汗をかいた様子の秀吉公を見た寺小姓の佐吉少年は、大きな茶碗にぬるいお茶をなみなみと持ってきました。秀吉公がもう一杯頼むと、少年は先ほどよりも少し熱いお茶を、茶碗に半分ほど差し出しました。そこで秀吉公は、さらに一杯所望したところ、今度は小さな茶碗に熱いお茶を入れて出しました。秀吉公は、茶の入れ方ひとつにも気を配る佐吉少年を気に入り、召し抱えました。この少年が後の石田三成公で、この話は「三献の茶」として、今も語り継がれています。
三成公は、ここから五キロメートル東の長浜市石田町の土豪の子として生まれ、今も出生地辺りには官名にちなんだ治部という小字が残っています。
また観音寺には、茶の水を汲んだと伝わる井戸が残されています。 昭和五十九年(一九八四)
ただし、このエピソードが載っている史料が『武将感状記』(熊沢正興、1716年)など、いずれも江戸時代のものであることや、三成の息子が記した寿聖院『霊牌日鑑』によると三成が秀吉に仕えたのは18歳で、姫路においてと記されていることなどから、この「三献の茶」の逸話は後世の創作であるとする説もあるそうです。