北ノ庄城の遺構はほとんど残っていませんが、1993年(平成5年)から6度にわたるの発掘調査の結果、本丸の推定位置である柴田神社の地下から、石垣の跡と思われる石が出土しました。
(しかしながら本丸の正確な位置を完全に特定するまでには至っていません)
北庄城石垣 Stone Wall of Kitanosho Castle
柴田神社周辺は、柴田勝家の築いた北庄城(きたのしょうじょう)(1575〜1583)天守閣跡と伝えられている場所です。
ここに展示している石は、勝家築城の北庄城の石垣遺構と考えられます。
発掘調査の結果からは、この石垣は本来、高く積まれていたが、江戸時代、結城秀康の福井城築城に際し取り除かれ、石垣の根石のみが残った状態であると考えられます。
石垣は、ここより南でも同様に見つかっています。石垣の前面には、堀が広がっていました。福井市教育委員会
福井城堀と石垣
拝殿下の石垣は、発掘調査で出土した状態のまま展示してありあす。この石垣は「福井城三の丸」南に位置する曲輪の南西にあたり、当時は、今の石垣よりさらに数段高く積まれていました。堀は、ここより西へ約150mつづき、堀幅は約18mありました。
北ノ庄城堀跡
発掘調査で確認された、福井城下層(1600年以前)の東西方向の幅が25m以上ある南北に延びる堀跡です。堀の規模から、柴田勝家築城の北ノ庄城の堀と考えられます。露出展示している石列は堀南面の石垣です。