北ノ庄城
北ノ庄城

[福井県][越前] 福井県福井市中央1-21-17


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.89(--位)
  • 見学時間:26分(--位)
  • 攻城人数:813(132位)

北ノ庄城の堀跡と石垣

北ノ庄城の遺構はほとんど残っていませんが、1993年(平成5年)から6度にわたるの発掘調査の結果、本丸の推定位置である柴田神社の地下から、石垣の跡と思われる石が出土しました。
(しかしながら本丸の正確な位置を完全に特定するまでには至っていません)

北庄城石垣 Stone Wall of Kitanosho Castle
 柴田神社周辺は、柴田勝家の築いた北庄城(きたのしょうじょう)(1575〜1583)天守閣跡と伝えられている場所です。
 ここに展示している石は、勝家築城の北庄城の石垣遺構と考えられます。
 発掘調査の結果からは、この石垣は本来、高く積まれていたが、江戸時代、結城秀康の福井城築城に際し取り除かれ、石垣の根石のみが残った状態であると考えられます。
 石垣は、ここより南でも同様に見つかっています。石垣の前面には、堀が広がっていました。福井市教育委員会
福井城堀と石垣
 拝殿下の石垣は、発掘調査で出土した状態のまま展示してありあす。この石垣は「福井城三の丸」南に位置する曲輪の南西にあたり、当時は、今の石垣よりさらに数段高く積まれていました。堀は、ここより西へ約150mつづき、堀幅は約18mありました。
北ノ庄城堀跡
 発掘調査で確認された、福井城下層(1600年以前)の東西方向の幅が25m以上ある南北に延びる堀跡です。堀の規模から、柴田勝家築城の北ノ庄城の堀と考えられます。露出展示している石列は堀南面の石垣です。
   

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今日のレビュー

教科書には書かれていない江戸時代

「教科書には書かれていない」というワードと、教科書会社出版という2つにひかれて手に取った本です。
教科書に書かれている事実(とされている事柄)の間を丹念に埋めるような内容です。
「参勤交代の経済学」は、面白かったです。「大名は本陣に泊まるときには、宿泊料を払わなかった」とか、「『超高速参勤交代』は、超高速じゃなかった」とか、「参勤交代で、行列同士が出会ったら」とか、面白くて一気に読みました。
あとは、「武士道と切腹」「幕末のとある旗本の一生」「天璋院篤姫」「徳川慶喜はなぜ大政奉還したのか」「江戸の庶民」「江戸の学問、名君池田光政と花畠教場・閑谷学校」など、事実だけではなく、そこに至る経緯、人の思惑、顛末など教科書のすき間を埋める事柄がたくさん書かれています。
授業で教えてくれたら、面白かっただろうな、でもきっと決められた時間数では終わらないだろうな、なんて考えながら読みました。

黒まめさん)

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