北ノ庄城跡には現在、柴田勝家が祀られている柴田神社が建てられていますが、これは1890年(明治23年)に旧福井藩主である松平春嶽らによって創建されました。
なお、現在の本殿は2002年(平成14年)に再建されたものです。
柴田神社の由来についての案内版がありました。
「柴田神社」の由来
北ノ庄城は、柴田勝家が築いた城で、九層の天守閣が、天高くそびえていたといわれる。このりっぱな城も、天正11年(1583)4月、羽柴秀吉に破れた勝家は自ら火を放って、夫人お市の方とともに、壮烈な死をとげ、焼失した。
北ノ庄城の跡地と言われている場所には現在、柴田神社がある。勝家が自害した4月24日には、毎年悲痛な杜鵑(ほととぎす)の声が聞かれるというので、藩政時代のいつころか、ここに石の祠(ほこら)を建て、勝家の霊を祀り、祭祀(さいし)を続けてきた。
明治23年(1890)、勝家を敬慕する市民有志が、祠の側に石碑をたてた。明治42年(1909)には、現在地に社殿を造営して勝家を神としてまつり、また旧濠を埋めて神苑(しんえん)としたと伝えられている。