徳島城の巽(南東)の方向に位置する場所にあるのが「鷲の門(わしのもん)」です。
1875年(明治8年)、徳島城が取り壊された際に、鷲の門のみが記念として保存されましたが、1945年(昭和20年)7月4日の徳島大空襲によって焼失してしまいました。
現在ある門(新鷲の門)は、1989年(平成元年)の徳島市市制100周年を記念し、徳島市出身の学校経営者・吉井ツルヱ氏の寄贈によって復元されたものです。
(1988年12月27日復元開始、1989年9月15日完成)
薬医門形式の門で、門本体の大きさは旧鷲の門と同じですが、門本体の左右(南北)に伸びる小屋(御番所および腰掛長屋)は少し短くなっています。
また、道路の配置が変わったことにより、門の位置も当時とは少し異なっています。
ちなみに、鷲の門の名の由来は、門を建設するに際して、徳川幕府から許可を得やすくするために「鷲の飼養所」として届け出たことからその名があると伝えられているそうですが、真偽は定かではありません。