宇和島城
宇和島城

[愛媛県][伊予] 愛媛県宇和島市丸之内1


  • 平均評価:★★★★☆ 3.85(21位)
  • 見学時間:1時間13分(45位)
  • 攻城人数:2606(49位)

宇和島城の案内板

宇和島城に設置されている案内板の内容を紹介します。

宇和島城の沿革
 戦国時代高串道免城主の家藤監物(いえふじけんもつ)が、天文十五年(一五四六)板島丸串城に入ったというのが、板島丸串城の記録に現れた始めである。
 その後、天正三年(一五七五)西園寺宣久(さいおんじのぶひさ)の居城となったが、同十三年(一五八五)には伊予の国が小早川隆景(こばやかわたかかげ)の所領となり持田右京が城代となった。その後、同十五年(一五八七)宇和郡は戸田勝隆の所領となり戸田与左衛門が城代となった。
 文録四年(一五九五)藤堂高虎が宇和郡七万石に封ぜられ、その本城として慶長元年(一五九六)築城工事を起こし、城堀を掘り、石垣を築いて、天主閣以下大小数十の矢倉を構え、同六年(一六〇一)高虎が今治に転封となり富田信高が入城したが、同十八年(一六〇八)に改易となったので、約一年間幕府の直轄地(ちょっかつち)となり、高虎が預かり、藤堂良勝を城代とした。
 慶長十九年(一六一四)十二月、仙台藩主伊達政宗の長子秀宗が宇和郡十万石に封ぜられ、翌元和元年(一六一五)三月に入城の後宇和島城と改めた。
 それ以後、代々伊達氏の居城となり、二代宗利のとき寛文四年(一六六四)天守閣以下城郭全部の大修理を行い、同十一年(一六七一)に至り完成した。
 天守閣は国の重要文化財に、また城域は史跡に指定されている。別称鶴島城ともいう宇和島市教育委員会
   

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今日のレビュー

首都圏発 戦国の城の歩きかた

滝の城を攻城する前にチェック。実際にその城に行って書籍の解説や縄張図と見比べてみると理解はさらに深まりました。
土の城を手習いするには一番わかりやすいと思います。

しのはさん)

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