桜城
桜城

[愛知県][三河] 愛知県豊田市元城町


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.69(--位)
  • 見学時間:19分(--位)
  • 攻城人数:228(439位)

挙母城(桜城)跡の案内板

挙母城(桜城)隅櫓跡に設置されている案内板の内容を紹介します。

挙母城(桜城)隅櫓(すみやぐら)跡
昭和四十七年豊田市史跡指定

桜城の築城は寛延二年(一七四九)、挙母藩内藤氏初代藩主・政苗(まさみつ)によって着手された。三重の本丸、二重の隅櫓、周囲四〇〇間(七百二十m)の堀を巡らした総面積三十二町(三十二ha)の計画であった。しかしたび重なる矢作川の大洪水により築城は断念され、新たに童子山に七州城が築かれた。今日に至っては、往時の隅櫓の石垣を残すのみとなった。内藤氏以前の三宅氏時代の居館に桜が植えられていたことから桜城の別称が伝えられている。豊田市教育委員会
   

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戦国の終わりを告げた城―八王子城を探る (ロッコウブックス)

おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。

赤ヱ門さん)

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