国吉城
国吉城

[福井県][若狭] 福井県三方郡美浜町佐柿25-2


  • 平均評価:★★★★☆ 3.54(58位)
  • 見学時間:1時間9分(49位)
  • 攻城人数:598(165位)

若狭国吉城歴史資料館

若狭国吉城歴史資料館は2009年(平成21年)春に開館した資料館です。
織田、豊臣、徳川の三英傑を迎えた国吉城址と、その城下町として開かれた佐柿の歴史的な町並みが紹介されています。
資料館には移築された大庄屋母屋のほか、多くの史料や模型などが展示されています。

若狭国吉城歴史資料館[国吉城]
提供:若狭国吉城歴史資料館 | 若狭国吉城歴史資料館[国吉城]

若狭国吉城歴史資料館から公式パンフレットを提供いただきました。

提供:若狭国吉城歴史資料館
国吉城と左柿の歴史
 弘治2年(1556)、若狭国守護大名武田氏の家臣である、粟屋越中守勝久は、三方郡佐柿の城山に国吉城を築きました。
永禄6年(1563)、越前朝倉氏の軍勢が攻め寄せましたが、見事撃退し、以後10年に渡って守りました。
 元亀元年(1570)、織田信長の軍勢が入城し、ここ国吉城から越前攻めに向かいました。
 天正11年(1583)、国吉城主となった豊臣秀吉の家臣、木村常陸介定光は、城の改修と町の整備に着手し、天正14年(1586)、佐柿の町を開きました。
 江戸時代に入り、寛永11年(1634)に小浜城主となった酒井忠勝は、国吉城に替わって新たに町奉行所をつくり、三方郡と佐柿の町を治めました。城下町佐柿は、丹後街道の宿場町として繁栄しました。幕末には、三戸浪士の一部が准藩士屋敷に収容されました。
提供:若狭国吉城歴史資料館

若狭国吉城歴史資料館の観光情報

住所福井県三方郡美浜町佐柿25-2
開館時間
  • 9時~17時
  • 冬期(12月~3月)は10時~16時30分
  • 入館は、閉館の30分前まで
休館日
  • 毎週月曜日(月曜日が休日の場合は、その翌日)
  • 祝日の翌日
  • 年末年始(12月29日~1月3日)
  • その他、臨時休館あり
観覧料(常設展示)
  • 大人:100円
  • 小人(中学生以下):50円
  • 団体割引あり(20人以上)
  • 身体障害者手帳、療育手帳または精神障害者保健福祉手帳を所持する方、就学前の幼児は無料
URLhttp://www.town.mihama.fukui.jp/www/section/detail.jsp?id=515
   

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今日のレビュー

教科書には書かれていない江戸時代

「教科書には書かれていない」というワードと、教科書会社出版という2つにひかれて手に取った本です。
教科書に書かれている事実(とされている事柄)の間を丹念に埋めるような内容です。
「参勤交代の経済学」は、面白かったです。「大名は本陣に泊まるときには、宿泊料を払わなかった」とか、「『超高速参勤交代』は、超高速じゃなかった」とか、「参勤交代で、行列同士が出会ったら」とか、面白くて一気に読みました。
あとは、「武士道と切腹」「幕末のとある旗本の一生」「天璋院篤姫」「徳川慶喜はなぜ大政奉還したのか」「江戸の庶民」「江戸の学問、名君池田光政と花畠教場・閑谷学校」など、事実だけではなく、そこに至る経緯、人の思惑、顛末など教科書のすき間を埋める事柄がたくさん書かれています。
授業で教えてくれたら、面白かっただろうな、でもきっと決められた時間数では終わらないだろうな、なんて考えながら読みました。

黒まめさん)

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