園部城
園部城

[京都府][丹波] 京都府南丹市園部町


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.84(383位)
  • 見学時間:38分(371位)
  • 攻城人数:110(324位)

園部城の歴代城主一覧(園部藩・歴代藩主)

江戸時代、但馬国出石城より移封された小出吉親が立藩して以降、10代藩主・小出英尚のときに幕末を迎えるまで、250余年にわたり園部藩は小出氏が治めており、一度も国替えはありませんでした。

小出吉親像(徳雲寺蔵)

小出氏は外様大名ながら、4代・小出英貞、5代・小出英持が若年寄を務めるなど、幕閣を輩出しています。これは初祖・小出吉親の青年期に徳川家康の旗本でもあったためだと考えられます。

また、幕末の変動期に最後の藩主である小出英尚は、入京して孝明天皇の皇后・九条夙子の御殿准后殿を守護し、京都見廻役として京都の警固にあたっていました。

『園部藩のあゆみ』

園部城の歴代城主

歴代 西暦(和暦) 城主 メモ
11619年(元和5年)小出吉親但馬出石藩第2代藩主・小出吉政の次男で、兄は出石城を築城した小出吉英。1613年(慶長18年)に父・吉政が没すると、兄・吉英は和泉国岸和田藩に移封されたため、吉親が但馬出石3万石を領することとなるが、1619年(元和5年)に兄・吉英が出石に再封されたため、新たに丹波国に園部藩を2万8000石で立藩し、同地に園部城を築城した。1667年(寛文7年)、家督を長男の英知に譲って隠居し、翌1668年(寛文8年)に死去した。
21667年(寛文7年)小出英知1667年(寛文7年)6月9日、父の隠居により跡を継ぐ。1673年(延宝元年)10月27日、長男・英利に家督を譲って隠居し、常慶と号した。1695年(元禄8年)正月13日、78歳で死去した。
31673年(延宝元年)小出英利初名は吉尚。1673年(延宝元年)10月27日、父の隠居により跡を継ぐ。浅草門の普請役や丹後宮津藩主・永井尚長改易後の宮津城受け取り役を務めた。1684年(貞享元年)に英利と改名する。1705年(宝永2年)4月22日、次男・英貞に家督を譲って隠居し、1713年(正徳3年)2月17日に55歳で死去した。
41705年(宝永2年)小出英貞1725年(享保10年)5月に奏者番、6月には寺社奉行を兼任する。1742年(寛保2年)には西の丸若年寄となる。1744年(延享元年)、病気を理由にすべての職を辞そうとしたが、許されないまま11月15日に61歳で死去した。跡を長男・英持が継いだ。
51744年(延享元年)小出英持1744年(延享元年)、父の死去で跡を継ぐ。正室は板倉重泰の娘。1746年(延享3年)に奏者番、寺社奉行を兼任する形で任じられた。1748年(寛延元年)には若年寄となる。1767年(明和4年)10月15日に62歳で死去し、跡を次男・英常が継いだ。
61767年(明和4年)小出英常1767年(明和4年)、父の死去により跡を継ぐ。1769年(明和6年)10月、奏者番となった。1775年(安永4年)9月29日、33歳で死去し、跡を長男・英筠が継いだ。
71775年(安永4年)小出英筠1775年(安永4年)、父の死去により2歳で跡を継ぐ。1787年(天明7年)11月、天明の大飢饉が原因で大規模な百姓一揆が起こり、その鎮圧と解決に努めた。藩財政窮乏化のため、タバコの専売制を実施し、さらに藩校・教先館を設立する。財政改革にはあまり効果がなかったが、文化的には発展した。1821年(文政4年)5月10日、48歳で死去し、跡を次男・英発が継いだ。
81821年(文政4年)小出英発兄・祐英が養子となって一族他家に出たため、1821年(文政4年)の父の死去により家督を継ぐ。1830年(天保元年)に打ちこわし、天保7年(1836年)には強訴が起こるなど、藩政では多難を極めた。1843年(天保14年)9月20日、家督を婿養子の英教に譲って隠居し、1862年(文久2年)8月20日に53歳で死去した。
91843年(天保13年)小出英教1842年(天保13年)4月15日、園部藩主・小出英発の養嗣子となる。1843年(天保14年)9月20日、養父の英発の隠居により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下加賀守に叙任する。後に信濃守に改める。1844年(天保15年)4月、常盤橋門番を命じられる。1855年(安政2年)10月10日、養父に先立って27歳の若さで死去し、跡を長男・英尚が継いだ。
101856年(安政3年)小出英尚丹波園部藩の第10代(最後)の藩主。1856年(安政3年)3月19日、父英発の死去により跡を継いだ。1863年(文久3年)2月15日、従五位下伊勢守に叙任する。幕末の動乱期では早くから朝廷に味方して、京都の警備などを勤めた。幕府が大政奉還した後は完全に新政府側に与し、西園寺公望が指揮する山陰道鎮撫軍に従った。1869年(明治2年)6月20日、版籍奉還により藩知事となる。1871年(明治4年)7月14日、廃藩置県により免官となる。同年9月16日、東京に移住する。1884年(明治17年)、子爵となった。1905年(明治38年)9月27日、57歳で死去した。
   
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