神戸城
神戸城

[三重県][伊勢] 三重県鈴鹿市神戸5-10


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.32(--位)
  • 見学時間:34分(--位)
  • 攻城人数:451(270位)

神戸城の案内板

神戸城の本丸内に立てられている案内板の内容を紹介します。
説明文のほか、縄張り図が記されています。

三重県指定・史跡
神戸城跡
昭和十二年十二月十四日指定

 伊勢平氏の子孫関氏の一族神戸氏は、南北朝時代(十四世紀)飯野寺家(いいのじけ)町の地に沢城を築いたが、戦国時代の一五五〇年には、この地に神戸城を築いて移った。
 神戸氏七代目友盛は、北勢に威を振るったが、信長軍の侵攻により永禄十一年(一五六八)その三男、信孝を養子に迎えて和睦した。
 信孝は、天正八年(一五八〇)ここに金箔の瓦も用いた五重の天守閣を築いた。しかし、本能寺の変後、岐阜城に移り、翌年秀吉と対立して知多半島で自刃し、文禄四年(一五九五)には天守閣も桑名城に移され、江戸時代を通して天守閣は造られず、石垣だけが残された。
 江戸時代、城主は一柳(ひとつやなぎ)直盛、石川氏三代を経て享保十七年(一七三二)本多忠統(ただむね)が入国する。
 本多氏の治世は、一四〇年間七代忠貫(ただつら)まで続き、明治八年(一八七五)城は解体される。
 その後、堀は埋められ城跡は神戸高校の敷地となった。天守台や石垣に悲運の武将を偲ぶことができる。平成十四年三月
鈴鹿市教育委員会
   

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戦国の終わりを告げた城―八王子城を探る (ロッコウブックス)

おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。

赤ヱ門さん)

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