小丸山公園(第一公園)内には七尾市生まれの画家、長谷川等伯の記念碑も建立されています。
桃山時代の代表的画家長谷川等伯は天文八年に七尾に呱々の馨をあげた 名は又四郎 また帯刀と称し はじめ信春 のちに等伯と號した 絵を雪舟系の等春に学び 若くして卓抜の技を示したが 元亀二年に笈を追うて上洛した 一説によれば上洛の途次 越前の曽我家の門をたたいたと伝えられるが 京都画壇の名門狩野氏にも師事したといわれる しかし勃々たる野心と超凡の才技をもった等伯は やがて狩野家と決別して長谷川派を創始し 自から雪舟五代を称して画壇に雄飛するに至った 慶長十五年徳川家康の召に應して江戸に下り 同年二月二十四日に被地に歿した 享年七十二
等伯の輝かしき業績は近年ようやく明らかとなり 彼のわが美術史上にのこした偉大な足跡はひろく世の認めるところとなった
ここに七尾市制創布三十周年を迎えるに当って郷土の生んだこの巨匠の偉業を顕彰せんがため本碑を建設する次第である なお建碑事業の費用を寄附せられた和興紡績株式会社々長池田文夫氏並びに碑銘の揮毫を快諾せられた文学博士土居次義氏に甚深の謝意を表する昭和四十三年春
七尾市長 青木重治
石碑にあるように、長谷川等伯は安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師で、狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らと並び称される、桃山時代を代表する画人です。
父親は能登国の戦国大名畠山氏に仕える下級家臣、奥村文之丞宗道であったため、七尾市で生まれたようです。
現在確認される作品は80点余りで、豊臣秀吉が幼くして亡くなった愛児・鶴松の追善のために建立した祥雲寺の金碧障壁画(その一部が現在、京都・智積院に伝存)と、松林図屏風が代表作とされています。
1995年(平成7年)には、七尾駅前に故郷を旅立とうとする等伯の銅像「青雲」(地元の彫刻家田中太郎による作品)が建てられました。