犬山城の天守前には、第9代犬山城主・成瀬正肥(まさみつ)公の顕彰碑があります。
成瀬正肥公は丹波篠山藩・第5代藩主、青山忠良公の三男として生まれました。
江戸時代末期の1855年(安政2年)に尾張藩の附家老で犬山城主の第8代当主成瀬 正住(まさずみ)公の養子となり、正住公の娘を正室としました。その後、成瀬正肥と改名して犬山城主となりました。
高節凌雲霄(こうせつりょううんしょう)(石碑)
第九代犬山城主成瀬正肥(まさみつ)公は、幕末から明治にかけて、国政の難しい時期に尾張藩主 徳川應勝を助け、勤王の立場で、諸問題を解決した。その功績を顕彰するもの。
犬山城は1617年(元和3年)以来、成瀬家が尾張藩最大の知行を領する附家老として犬山城主であり、城下町も整備していました。
江戸時代を通して幕府や朝廷からは独立大名と見られておらず、附家老として立場は陪臣でしたが、1868年(明治元年)の王政復古の際に「維新立藩」により朝廷から正式に大名と認められ、成瀬正肥公は犬山藩主として尾張徳川家の尾張藩から独立しました。