瀬田城
瀬田城

[滋賀県][近江] 滋賀県大津市瀬田2-13


  • 平均評価:★★☆☆☆ 1.94(--位)
  • 見学時間:18分(--位)
  • 攻城人数:336(371位)

龍王宮秀郷社

瀬田城址の石碑のすぐそば、瀬田の唐橋からもすぐの場所に龍王宮秀郷社(りゅうおうぐうひでさとしゃ)があります。
龍王宮は瀬田川と唐橋の鎮守社として建てられた神社で、秀郷社には百足退治伝説で知られる俵藤太(藤原秀郷)が祀られています。

古くから瀬田の唐橋の下には龍神が住むという言い伝えがあり、龍王宮は室町時代の永享年間(1440年頃)に六角氏が蛍谷にあった橋を現在地に架け替えたときに建てられました。
それ以来、橋を架け替えたり大修理の度に龍神を権殿に遷座するのが慣わしとなりました。のちに権殿が本宮となったそうです。

秀郷社はいつ頃祀られたのか不明ですが、1633年(寛永10年)に伊予松山と近江日野を領有していた大名の蒲生忠知が別の地にあったものを移したとも伝わります(蒲生家は藤原秀郷の子孫であるため)。

龍王宮秀郷社の観光情報

住所大津市瀬田2-1-8
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

瀬田城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸

攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。

まーちゃんさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る