瀬田城は「急がば回れ」の語源ともなった瀬田橋(瀬田の唐橋)の防衛を目的に山岡氏によって築かれた平城で、膳所城や大津城、坂本城と並ぶ「琵琶湖の浮城」のひとつです。城主の山岡景隆は織田信長からの信頼が厚く、信長は上洛のたびに瀬田城を宿所としていました。1582年(天正10年)に起きた「本能寺の変」で信長を討った明智光秀は、安土城を占拠するため瀬田橋に軍を進めたが、その際に景隆は信長への忠義を守り、瀬田橋を焼き落とし明智光秀の軍を阻みました。これにより明智光秀はいったん兵を引かざるを得なくなり、天下の趨勢に大きな影響を与えています。現在は石碑だけが残っています。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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