勝幡城
勝幡城

[愛知県][尾張] 愛知県愛西市勝幡町


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.54(--位)
  • 見学時間:18分(--位)
  • 攻城人数:647(228位)

勝幡城の歴史

織田信長が生まれた城とされる勝幡(しょばた)城の歴史を時系列でまとめています。

勝幡城とは

勝幡城とは、現在の愛知県愛西市と同県稲沢市にまたがって所在した城で、遺構は残っていませんが城址を示す石碑が建てられています。
当地は元々「塩畑(しおばた)」という地名でしたが、織田信定もしくは織田信秀によって「勝利の幡(旗)」にちなんだ字を当て「勝幡」と改められました。
織田信定とは尾張守護代の清洲織田氏、別名を織田大和守家ともいう織田宗家に仕える三奉行の一人で、この系統を織田弾正忠家と呼びます。信定は信長の祖父にあたり、信秀にとっては実の父となる人物です。

勝幡城の築城は応永年間(1504年~1521年)頃と考えられ、信定もしくはその父の織田信良の手によるものと考えられています。
遺構が残っていないため正確な縄張りは不明ですが、『勝幡村古城絵図』には本丸が東西29間(約53m)・南北43間(約78m)で、幅3間(約5.5m)の土塁をもつ方形の構造だったと伝えています(1間=1.181mで換算)。
二重の堀をもち、東側を流れる三宅川を天然の堀とした防御機構をうかがえますが、現在の城址西側にある日光川は江戸時代の治水工事による流路のため、築城当時とは地形が変わっています。

1534年(天文3年)、信秀の嫡男、織田信長が勝幡城で誕生したとされ、従来の那古野城誕生説よりも現在では信憑性が高いと考えられています。
1538年(天文7年)、信秀は今川氏豊から攻め取った那古野城に本拠を移転し、それに伴い勝幡城代には家臣の武藤掃部が任命されました。

1555年(弘治元年)、信長は清洲の織田大和守家を攻め滅ぼし、尾張の事実上の支配者となりました。
これによって奪取した清洲城へと本拠を移転、勝幡城代だった武藤掃部は野府城へと転属となり、以降勝幡嬢はその機能が衰退しやがて廃城となりました。
先述の通り、江戸期の大規模な河川工事によって地形が変わり、現在では勝幡嬢の当時を思わせる遺構は見当たりません。しかし1979年(昭和54年)、櫓台跡と推定される地点の地下より基礎石が発掘され、城郭遺構であることが証明されました。

中世「城館」の趣を見せる勝幡城

勝幡城は「城」と名が付きますが、いわゆる中世山城や戦国期城郭のような、切り立った山岳地帯など天然地形を要塞化したタイプのものではありません。
堀や土塁、河川などで守られてはいるものの基本的には平地に立地する平城であり、防御性の住居を兼ねた城館と呼べるものといえるでしょう。

しかしこの平地に建てられた城はいわば迎賓館のような、外交等において重要な役割を果たしたことがわかっています。
1533年(天文2年)、織田信秀の時代に朝廷の財務長官を務めた公卿・山科言継(やましなときつぐ)が、勝幡城でもてなしを受けたことが記録されています。
当時の朝廷は実権を失って弱体化し、財政基盤はとても脆弱なものでした。そこで重要な収入源となったのが、各地の武将たちからの献金です。武家は基本的に朝廷の権威を尊重する気風があり、言継はそのためにも多くの武将たちとのパイプを持ち、自ら各地へと足を運んでいたのでした。

言継の手による『言継卿記』という日記に詳しく記されており、そこには勝幡城の規模や造作への驚きが綴られています。
このように勝幡城は、信秀率いる織田弾正忠家の経済力をバックボーンとして整備された「見せる城館」としての機能も果たしたと考えられるでしょう。
信長へと受け継がれた織田弾正忠家の隆盛と共に拠点となる城は変遷していきましたが、信秀・信長が誕生したと伝わる勝幡城は、その初期におけるシンボリックな城だったといえます。

勝幡城の歴史・沿革

西暦(和暦) 出来事
1504~1521年(永正年間)頃 大中臣安長屋敷跡に織田信定(もしくは織田信良)が築城
1533年(天文2年) 信秀が朝廷内蔵頭の公卿・山科言継を勝幡城に招待
1534年(天文3年) 織田信長、勝幡城にて誕生(諸説あり)
1538年(天文7年) 信定後継の織田信秀が本拠を那古野城に移転、勝幡城代に武藤掃部を任命
1555年(弘治元年) 織田信長が尾張の権益を掌握して清洲城に本拠を移転。勝幡城代・武藤掃部は野府城の管轄に移り、以降勝幡城は廃城に
1979年(昭和54年) 櫓台推定位置の地下3mから、基礎石が発掘される
このページに記載してある内容の大半は「戦国ヒストリー」編集部に寄稿していただきました。ありがとうございます!
   

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