国指定史跡 有岡城 岸の砦跡
有岡城は、伊丹台地の東縁の高台を巧みに利用した平城である。侍町、城下町の周囲を土塁と堀で囲み、町ぐるみを城塞化した惣構構造で、南北千七百メートル、東西八百メートルの範囲に及んでいる。要所には、岸の砦、上﨟塚砦、鵯塚砦が築かれていた。
砦のうち有岡城惣構の北端に設けられたのが、岸の砦である。位置的にみて猪名野神社境内にその場所が推定されている。境内には土塁跡・堀跡が残されており、往時を偲ぶことができる。
天正七年(一五七九)、織田信長の有岡城攻めのとき、荒木村重の重臣渡辺勘大夫が守っていた。平成五年三月一日
伊丹市教育委員会
国指定史跡有岡城 岸の砦跡
有岡城は、伊丹台地の東縁の高台を巧みに利用した平城である。侍町、城下町の周囲を土塁(どるい)と堀で囲み、町ぐるみを城塞化した惣構(そうがまえ)構造で、南北千七百メートル、東西八百メートルの範囲に及んでいる。要所には、岸の砦(とりで)、上﨟(じょうろう)塚砦、鵯(ひよどり)塚砦が築かれていた。 砦のうち有岡城惣構の北端に設けられたのが、岸の砦である。位置的にみて猪名野神社境内にその場所が推定されている。境内には土塁跡・堀跡が残されており、往時を偲ぶことができる。 天正七年(一五七九)、織田信長の有岡城攻めのとき、荒木村重の重臣渡辺勘大夫が守っていた。平成五年三月一日
伊丹市教育委員会
猪名野神社の観光情報
住所 | 兵庫県伊丹市宮ノ前3-6-4 |
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