桑名城
桑名城

[三重県][伊勢] 三重県桑名市吉之丸


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.07(103位)
  • 見学時間:48分(99位)
  • 攻城人数:977(165位)

辰巳櫓跡

桑名城の天守は1701年(元禄14年)に起きた大火で焼失し、以後は辰巳櫓が天守の代わりとして使用されました。
しかし旧幕府軍と明治政府軍が戦った戊辰戦争において、桑名藩が新政府軍に降伏した際、降伏の証として新政府軍に焼き払われることとなりました。

現在は辰巳櫓跡には大砲が置かれていますが、その由来などについてはよくわかりません。

現地に設置されている辰巳櫓跡の案内板の内容を紹介します。

辰巳櫓(たつみやぐら)跡 Tstsumi Yagura(Watch-Tower) Ruins
 桑名城本丸の東南角にあり、三重櫓であった。
 元禄(げんろく)十四年(1701)天守閣が焼失し、再建されなかったので、以後はこの辰巳櫓が桑名城のシンボル的存在であった。このため、明治維新の時、降伏のしるしとして新政府軍に焼き払われた。
 現在大砲が置かれているが、由来等は不詳。 平成13年 桑名市教育委員会
   

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