村上城
村上城

[新潟県][越後] 新潟県村上市二之町


  • 平均評価:★★★★☆ 3.51(--位)
  • 見学時間:1時間8分(--位)
  • 攻城人数:672(179位)

村上城の歴代城主

村上城は上杉謙信に反旗を翻したことで知られる本庄繁長が城主だった城です。

1598年(慶長3年)、豊臣秀吉によって上杉景勝が会津に転封されると、本庄氏も会津に移り、その後は堀秀治の家臣・村上頼勝が城主になっています。
しかし村上忠勝の時代に村上氏は家中の論争が多いことを理由に改易され、堀直政の子、堀直寄が村上藩主となりました。

ところが堀氏2代・直定に嗣子なく、堀家はお家断絶となり、幕府直轄となっています。
その後は本多氏、松平氏、榊原氏、内藤氏と譜代大名を中心にたびたび城主が交代しています。

このなかには徳川家宣に重用された間部詮房もいます。
家宣の子、徳川家継が幼少のまま病死したため、徳川吉宗が8代将軍に就任すると、詮房は新井白石とともに失脚することとなり、領地を関東枢要の地・高崎から、村上に左遷されました。

間部氏が去ったあとは内藤氏が明治維新まで約150年間領主となりました。

村上城の歴代城主

歴代 西暦(和暦)城主メモ
1不明本庄繁長(ほんじょうしげなが)
21590年(天正18年)春日元忠(かすがもとただ)
31598年(慶長3年)村上頼勝(むらかみよりかつ)9万石
41616年(元和2年)村上忠勝(むらかみただかつ)9万石
51618年(元和4年)堀直竒(ほりなおより)10万石
61639年(寛永16年)堀直定(ほりなおさだ)10万石
(直定、嗣子なく堀家断絶、幕府直轄となる)
71644年(正保元年)本多忠義(ほんだただよし)10万石
81649年(慶安2年)松平直矩(まつだいらなおのり)15万石
91667年(寛文7年)榊原政倫(さかきばらまさとも)15万石
101682年(天和3年)榊原勝乗(さかきばらかつのり)15万石
111704年(宝永元年)本多忠孝(ほんだただたか)15万石
121709年(宝永6年)本多忠隆(ほんだただたか)5万石
131710年(宝永7年)松平輝貞(まつだいらてるさだ)7万2千石
141717年(亭保2年)間部詮房(まなべあきふさ)5万石
151720年(亭保5年)間部詮言(まなべあきとき)5万石
161720年(亭保5年)内藤弌信(ないとうかずのぶ)5万90石
171725年(亭保10年)内藤信輝(ないとうのぶてる)5万90石
181725年(亭保10年)内藤信興(ないとうのぶおき)5万90石
191760年(宝暦10年)内藤信旭(ないとうのぶあきら)5万90石
201762年(宝暦12年)内藤信凭(ないとうのぶより)5万90石
211781年(天明元年)内藤信敦(ないとうのぶあつ)5万90石
221825年(文政8年)内藤信親(ないとうのぶちか)5万90石
231864年(元治元年)内藤信民(ないとうのぶたみ)5万90石
241868年(慶応4年)内藤信美(ないとうのぶよし)5万90石
   

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ワイド&パノラマ 鳥瞰・復元イラスト 日本の城

2022年3月に増刷と聞き予約して購入。帯に「在りし日の城の姿!」とある。初版同様、100城全126点。精密な鳥瞰・復元イラストには構造としての城だけでなく、人々の営みも書き込まれているものも多くて気に入ってます。人々が関わってこその城だと思うので。
石垣山城は天守台建設中で人々が土木工事をしてるし、杉山城では堀に渡された木橋を人が通ってます。亀居城に舟入があったことはこの本で知りました。伏見城のページには在りし日の巨椋池が広がっています。城が躍動していた頃の姿を眺めてうっとりするのはロマンと言うのかな。出版社はワン・パブリッシング。

山鳩さん)

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