村上城は上杉謙信に反旗を翻したことで知られる本庄繁長が城主だった城です。
1598年(慶長3年)、豊臣秀吉によって上杉景勝が会津に転封されると、本庄氏も会津に移り、その後は堀秀治の家臣・村上頼勝が城主になっています。
しかし村上忠勝の時代に村上氏は家中の論争が多いことを理由に改易され、堀直政の子、堀直寄が村上藩主となりました。
ところが堀氏2代・直定に嗣子なく、堀家はお家断絶となり、幕府直轄となっています。
その後は本多氏、松平氏、榊原氏、内藤氏と譜代大名を中心にたびたび城主が交代しています。
このなかには徳川家宣に重用された間部詮房もいます。
家宣の子、徳川家継が幼少のまま病死したため、徳川吉宗が8代将軍に就任すると、詮房は新井白石とともに失脚することとなり、領地を関東枢要の地・高崎から、村上に左遷されました。
間部氏が去ったあとは内藤氏が明治維新まで約150年間領主となりました。
村上城の歴代城主
歴代 | 西暦(和暦) | 城主 | メモ |
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1 | 不明 | 本庄繁長(ほんじょうしげなが) | |
2 | 1590年(天正18年) | 春日元忠(かすがもとただ) | |
3 | 1598年(慶長3年) | 村上頼勝(むらかみよりかつ) | 9万石 |
4 | 1616年(元和2年) | 村上忠勝(むらかみただかつ) | 9万石 |
5 | 1618年(元和4年) | 堀直竒(ほりなおより) | 10万石 |
6 | 1639年(寛永16年) | 堀直定(ほりなおさだ) | 10万石 |
(直定、嗣子なく堀家断絶、幕府直轄となる) | |||
7 | 1644年(正保元年) | 本多忠義(ほんだただよし) | 10万石 |
8 | 1649年(慶安2年) | 松平直矩(まつだいらなおのり) | 15万石 |
9 | 1667年(寛文7年) | 榊原政倫(さかきばらまさとも) | 15万石 |
10 | 1682年(天和3年) | 榊原勝乗(さかきばらかつのり) | 15万石 |
11 | 1704年(宝永元年) | 本多忠孝(ほんだただたか) | 15万石 |
12 | 1709年(宝永6年) | 本多忠隆(ほんだただたか) | 5万石 |
13 | 1710年(宝永7年) | 松平輝貞(まつだいらてるさだ) | 7万2千石 |
14 | 1717年(亭保2年) | 間部詮房(まなべあきふさ) | 5万石 |
15 | 1720年(亭保5年) | 間部詮言(まなべあきとき) | 5万石 |
16 | 1720年(亭保5年) | 内藤弌信(ないとうかずのぶ) | 5万90石 |
17 | 1725年(亭保10年) | 内藤信輝(ないとうのぶてる) | 5万90石 |
18 | 1725年(亭保10年) | 内藤信興(ないとうのぶおき) | 5万90石 |
19 | 1760年(宝暦10年) | 内藤信旭(ないとうのぶあきら) | 5万90石 |
20 | 1762年(宝暦12年) | 内藤信凭(ないとうのぶより) | 5万90石 |
21 | 1781年(天明元年) | 内藤信敦(ないとうのぶあつ) | 5万90石 |
22 | 1825年(文政8年) | 内藤信親(ないとうのぶちか) | 5万90石 |
23 | 1864年(元治元年) | 内藤信民(ないとうのぶたみ) | 5万90石 |
24 | 1868年(慶応4年) | 内藤信美(ないとうのぶよし) | 5万90石 |