佐和山城址の西の丸跡に案内板が設置されています。
西の丸跡
西の丸は、本丸の北西に位置し、「かもう坂通り往還(おうかん)」(通称「龍潭寺(りゅうたんじ)越え」)の切通しから本丸へ至る途中に築かれた丸である。彦根藩主井伊家に伝来した3枚の佐和山城絵図を見ると、西の丸には3段の曲輪が描かれ、いずれも上段に「焔硝櫓(えんしょうやぐら)」、下段に「塩櫓(しおやぐら)」と記されている。ただ、現在は下段を「焔硝櫓」と通称しており、名称の混乱が見られる。また、絵図には描かれていないが、北勢に伸びる尾根にも2段の曲輪が明瞭に確認できる。西の丸跡は、3ヵ年にわたる測量調査により、曲輪以外にも土塁(どるい)や竪堀(たてぼり)など数多くの遺構を確認することができた。彦根市教育委員会 文化財課