攻城団からのお知らせ

攻城団の各種お知らせ用のブログです。毎月のレポートや新機能のご紹介など、スタッフからのサイトに関するご連絡はここに書いていきます。

Sponsored by 明石観光協会

明石城にマンガの取材旅行にいってきました

この記事は明石観光協会に協賛いただきました。ありがとうございます。

6月2日〜3日の週末は明石市へ取材にいってきました。
すでにご当地缶バッジやクリアファイルを発表していますが、いま進めているのが「マンガでわかる」シリーズの3作目となる「マンガでわかる明石城」と、二条城ガイドブックのような体裁の「明石城ガイドブック」の制作です。
来年迎える築城400年に向けて、攻城団は明石城をおおいに盛り上げていきたいと思っています!

さて、最初に結論というか、今回感じたことをいわせてください。
明石城はすごいよ! みんなはたぶんその魅力の一割も気づいてないかもしれないよ!

毎回取材旅行では驚きの連続なのですが、今回の明石城は自分が生まれ育った兵庫県にある城でもあり、なんとなく理解したつもりになっていました。しかし取材を終えたいま、じつは明石城は五大名城に割って入れるくらいの名城であることがわかりました。過去の自分を振り返るとその無知ぶりが恥ずかしいくらいですが、たぶんぼくと同じくらいの知識の方も多いと思うので、これからマンガやガイドブック、城メモなどあらゆる手段でみなさんに明石城のすごさを紹介していきたいと思います。
(イベントやガイドツアーもやりたいですね)

でも今日はとりあえず取材レポートということで、ぼくらの週末の様子を見てください。
2日間ともとにかく天気が良かったので写真を見てるだけでも楽しめると思います。とくに2日目はカメラマンの山口さんに撮影いただいているので、オススメです(冒頭の写真も山口さんに撮影してもらったものです)。

初日はお昼前に明石駅に集合しました。
大久保先生は関東から新幹線で、コースケさんは七尾からサンダーバードで、そしてぼくは京都から新快速に乗って明石駅を目指しました。ランチには3人で明石焼きを食べて、明石観光協会の樫原さん、前川さん、木村さんと合流して明石商工会議所を訪問します。

明石観光協会のポスター(下の写真のやつ)をご覧になられた方もいらっしゃるかもしれませんが、あのポスターの写真はこの商工会議所の屋上から撮影されたものだそうです。

ぼくらも同じ構図で撮影させてくださいとお願いをして、商工会議所と調整していただきました。
そこから撮影したのがこの写真です。

公園内から撮影した写真とは角度がぜんぜんちがうので、左右の櫓の屋根もはっきり見ることができます。さらに向こうのほうまで見渡せるので奥行きが感じられます。
それにしてもほんとにいい天気だったのがよくわかりますよね。

今日は細かい説明は省きますが、左が坤櫓で、右が巽櫓です。おそらく明石城を訪問したことのある方ならこのふたつの櫓は見てると思います。タイミングが良ければ内部も公開されているので入ったことのある方もいるかもしれません。

見学は一階部分だけなので気づきにくいのですが、じつはどちらも三重櫓なんです。当時は本丸の北側にも艮櫓と乾櫓があったので、合計4基の三重櫓がありました。これってすごくないですか。
たとえば二条城の本丸も四隅に櫓がありましたがうちひとつは天守で、三重櫓は1基のみでした。あとのふたつは二重櫓です。ちなみに江戸城には三重櫓が6〜7基あったといわれていますが、それに匹敵するくらい強固な構えの城だったということをぼくは今回はじめて知りました。

つづいて明石城(明石公園)のすぐそばにある「織田家長屋門」です。「おだ」ではなく「おた」と読みます。

ここは明石城下の一等地でお殿様が交代するたびに代々の筆頭家老が屋敷をかまえたそうです。織田信長と関係ありそうですが、どうやら信長の叔父で犬山城主として有名な織田信康の子孫だとか。
越前松平氏に仕えた織田信勝(津田信勝)が松平直明の筆頭家老をつとめており、現在も子孫の方が住んでらっしゃるそうです。

家紋は「山字紋(やまじもん)」で、これは越前松平氏の家紋です。筆頭家老だから使うことを許されてたんでしょうね。

城下町を散策

駅の反対側に歩くと、築城当時から現在まで残っている「魚の棚商店街」があります。すごくおしゃれな名前ですよね。
いまでもすごく活気があって、にぎわっていました。

明石城の城下町はかなりきれいに整備されていて、お城から海までの間を武家屋敷、商人の町、寺町などが整然と区画されていて、とくに海側の商人の町についてはいまでも残っているお店がいくつかあります。

そのうちのひとつである「こうじや京作」さんにお話を伺いました。

こちらは松平直明が越前大野藩に移ってきた際に御用商人として明石にやってこられたそうです。江戸時代の大名の移封ではこうした商人や職人などを連れて移動することは珍しくなく、いわば町ごと移動する感じでした。
有名なのはおそばですね。高遠から山形、会津へと移った保科正之はそば職人も連れていって、いまでも会津では「高遠そば」として親しまれています。

お庭にある灯籠と手水鉢は明石城の本丸御殿にあったものだそうです。

拝領したものもたくさん見せていただきました。三つ葉葵の紋を見るとなんだかテンションが上がります。

小刀を抜いてもらってるところを前のめりになって見てるぼくと大久保先生。

明石城主にゆかりのあるお寺をめぐる

タクシーに乗って長寿院を訪問しました。ここは越前松平氏の菩提寺で、歴代藩主のお墓があります。
奥に見えるタワーは明石市立天文科学館です。

ここにも三つ葉葵がありました。

ご住職からはいろんな話を伺ったのですが、いちばんおもしろかったのは松平斉宣(なりこと)かな。

斉宣は11代将軍・徳川家斉の子どもです。家斉は55人の子どもをつくり、オットセイ将軍と呼ばれるほどでしたが、当然その子どもたちは(将軍家に居つづけるとお金もかかるし争いごとの火種にもなりかねないので)養子に出されます。将軍家からの養子の斡旋を断れるはずもなく、越前松平氏は嫡男がいたにもかかわらず強引に押し付けられたようです。
この斉宣をモデルにしたとされるのが映画『十三人の刺客』ですが、じっさいの斉宣は江戸の藩邸で暮らしていたため、明石へ国入りすることもなく、まったくのフィクションだそうですね。

それはさておき、さすが将軍の息子だけあって、お墓が立派です。
ひとりだけ特別に廟所が建てられており、しかも内部は金箔です。この金箔は近年張り替えられたものだと伺いましたが、当時も同様に全面金箔だったそうです。

こちらがお墓です。

ほかの藩主のお墓も大きいんですけど、やはり斉宣は別格です。
(そもそもぼくが横に立つと大きさがわかりにくいですね)

せっかく真下まで来たので、天文科学館に上がらせてもらいました。
ここからは明石海峡がよく見えますが、明石城も見えますね。

次に向かったのは明石神社です。ここには明石城の太鼓櫓で使われていた太鼓が残っています。

つづいて宮本武蔵が作庭したと伝わる庭がある本松寺に向かいます。

ご住職は武蔵が作庭したかどうかはわからないとおっしゃってましたが、「わからない」という状態を楽しめるのも幸せなことだと思うので、「武蔵が作庭したかもしれない」というロマンは(白黒はっきりするまでは)大事にしたいなと思います。

庭園は座った目線で楽しむものだからといわれて、素直に座るぼくと大久保先生。

だいぶ歩き疲れていましたが、がんばって月照寺へ向かいます。

この立派な門はもともとは伏見城の城門が明石城の切手門として移築され、さらに明治の廃城令後にこの場所に移築されたそうです。
お城からは1kmほど離れていますが、貴重な遺構なのでぜひチェックしてほしいです。
(ただしこの門も阪神淡路大震災で倒壊したため復元されています)

ご住職からは震災前の写真なども見せていただきました。

初日の最後は高家寺(こうけじ)です。

初代藩主である小笠原忠政が再建した寺で、本堂には小笠原氏の家紋である「三階菱紋」があちこちにあります。

ここには忠政の正室である圓照院(亀姫)の位牌が安置されています。

またご住職からは忠政が小倉へ移り、代わって戸田松平氏の松平庸直が城主となった際に「この寺は由緒正しい寺だから大事にしてくれ」と言付けした書状を見せていただきました。こんな申し送りがあったんですね。

すでにかなり長くなってますが、初日はここまでです。
夜は穴子料理をたくさん食べました!(穴子の刺身とか穴子茶漬けなんてはじめて食べました)

明石城についてとことん学ぶ

2日目は文化財担当課長の稲原さんから午前中は座学で、午後は現地で明石城について教わりました。

詳しい話はおいおい城メモにまとめたり、マンガのネタになったりすると思いますが、とにかくわかりやすくておもしろかったです。逆にいうとこうしてレクチャーを受けなければ明石城を楽しめないだろうなとも感じました。そのギャップを少しでも埋めることをぼくらは期待されているのだろうし、しっかり応えていきたいとも思いました。

真剣に授業を受けている3人。

明石城と兵庫県内のお城とを内郭(内堀の内側にある城の主要部=だいたい本丸・二の丸・三の丸)の面積で比較してみると、姫路城が23ha、赤穂城は10ha、天下普請で築かれた篠山城は13haであるのに対して、なんと明石城は25.3haもあります。
明石城が姫路城よりも巨大だったということを知らない人は多いんじゃないでしょうか。

おもしろいのでどんどん前のめりになる3人。

ほんとに楽しい時間でした。
明石城は2代将軍・徳川秀忠が命じて築城させた城で、石垣の普請工事については幕府のお金でやってることくらいは事前に下調べしていたのですが、これだけの巨大城郭であることは驚きでした。

約3時間の講義を終えて、午後はじっさいに明石城を案内していただきます。

明石公園を管理されている公園協会にもご協力いただき、現在は非公開中の櫓にも入れていただきました。
ちなみに明石城のふたつの櫓は春と秋に一般公開されていて、次は9月と11月に坤櫓が、10月に巽櫓が公開されます(土日祝のみ10時~16時)。

ここでも屋根瓦の家紋など、見落としがちなポイントを教えていただきました。小笠原氏の「三階菱」がちゃんとあったりします。

ほかにもふたつの櫓の間ある土塀は阪神淡路大震災後に復元されたものだそうですが、矢狭間と鉄砲狭間それぞれの位置については正確に復元しているとか、パンフレットに書いてない話も伺うことができました。

坤櫓のほうにも入らせていただきました。

こちらには復元模型が展示されているので、それを使いながら説明していただいたのですが、こうして地形込みで立体的に見ることでどうやって城を守ろうとしたのかがなんとなくわかるし、その答え合わせをさせていただけたのが楽しかったです。

公園協会の方のご厚意で鍵閉め体験をさせていただきました。やったことある人は少ないと思うけど、意外とむずかしいですよこれ。

天守台の石段にひとつだけある転用石の前で。
こんなにわかりやすい場所に使っていることはなにか意図があるんでしょうね。

明石城には中津城の天守を移築する話もあったそうですが、けっきょくこの天守台の上には一度も天守は築かれませんでした。
ここまで見てきて「たしかに天守はいらないよなあ」と思えるだけの頑強な城ですが、ここに5重の天守があった姿も見てみたいなとも思いました。

おそらく当時は姫路城まで見えたんじゃないかなあ、なんて話をしてました。

ぼくは当初、明石城は姫路城の後詰め用というか後方支援のための支城的な位置づけだと理解していたんですけど、今回いろんな話を伺ってみて、じつは明石城こそが播磨の中心で姫路城は西国に備えるための出城だったのかもしれないですね。

ほかにも櫓跡や門跡などを案内していただきました。

石垣の刻印探しが好きな方もかなりいらっしゃるかと思いますが、明石城の石垣には86種類、約1500個の刻印があるそうです。

明石城はわずか8か月でこれだけの石垣普請工事を終えているように、相当な人数の職人が参加したはずですから、それぞれの持ち場を示すためにいろんな刻印が残っているのかもしれないですね。
稲原さんはこういうぼくの素人考えもちゃんと耳を傾けてくださって丁寧に答えてくださるんです。ただ一方的に知識を与えるだけじゃなく、いっしょに考えてくれる先達って最高ですよね。ぼくもそんなふうになりたいと思いました。

最後は明石市立文化博物館に寄りました。

ここにはアカシゾウの化石などが展示されているのですが、明石の歴史をまるっと学べる素晴らしい施設です。
明石海峡がこんなに深く入り組んだ地形だなんて知りませんでした。まただからこそ潮の流れが複雑で水上交通の要衝だったわけですね。

松平直明が着用した甲冑など貴重な展示もあるので、ここも明石城を訪問した際には立ち寄ってほしいですね。

ということで、2日間にわたる取材も終了です。
初日に1万歩、2日目は6千歩、合計1万6千歩と過去最高に歩きまくった取材でしたが、収穫も過去最大となりました。冒頭に書いたようにほんとに明石城はすごいんですよ。その一部でもこのレポートで伝わればうれしいですし、これから着手するマンガやガイドブックではぼくらが学んだことや受けた衝撃をしっかり整理して伝えられるようにがんばります。
ぼくも紹介文を書いて書いて書きまくろうと思ってますので、完成を楽しみにしていてくださいね。

攻城団はいつもたくさんの方々に助けていただいていますが、今回の取材でもたくさんの方にお世話になりました。
明石観光協会のみなさんには両日にわたって同行していただいたので同じだけ歩いてくださってますし、こうじや京作さんはご自宅に上がらせていただき甘酒までごちそうになりました(おいしかったです!)。また長寿院、本松寺、月照寺、高家寺のご住職には週末でお忙しい中、貴重なお時間をいただき、歴代城主にまつわる話を伺わせていただきました。
そして稲原さんには朝から夕方までぼくたち3人のためにたっぷり明石城についてレクチャーしていただきほんとうにありがとうございました。

この場を借りてお礼を申し上げるとともに、みなさんから教わった明石城の魅力を全国の方々に伝えていくことできちんと恩返ししていきたいと思っています。
というかぼく自身がすでに明石城の魅力のとりこになってしまったのでこれからさらに勉強してわかりやすく紹介できるようにがんばります。来年に向けていろんなコンテンツやイベントを企画していきますので楽しみにしていてくださいね。

   
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