黒まめ

黒まめ(くろまめ)さん 家老 サポーター   フォロー

早いもので、攻城団で丸5年お世話になっています。企業では中堅といわれるポジションでしょうか。「城歩き」のおかげで大きな故障も無く、日々楽しく過ごしています。これからも元気に楽しく「城歩き」と「歴史探訪」を続けていきたいです。

黒まめさんのタイムライン

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-12-02)

最近Instagramに「和歌山城の紅葉が見ごろです。」なんて流れてくるので、今やっている企画展「紀州藩主の御殿」と併せて行ってきました。ド平日なのに、城内駐車場は満車で、少し並びました。桜🌸の季節と紅葉🍁の季節は、人がたくさん集まりますね。特に「西の丸庭園」は、別名「紅葉渓庭園」というぐらいなので、鳶魚閣も開け放たれていてフォトスポットも人もいっぱいでした。このまま、ライトアップも見たかったのですが、駐車場の置き換えがめんどうだったので、また日を改めます。写真右下は、企画展に展示されていた2代藩主光貞(吉宗のお父さん)の絵です。なかなか達筆です。

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黒まめさん が  岩村城(岐阜県恵那市)の城活ノートを更新しました(2024-11-28)

ここ岩村城で、山あり谷あり(!?)の経験をいたしましたので、あえて城活ノートで、その体験も交えながらお知らせしたいと思います。まず第一の谷は、苗木城、阿木城とカーナビとGoogle mapを併用して攻めてきたのに、岩村城ではあまりにもあっさりとカーナビが目的地を出したので、すっかり信用してしまったことでした。どんどん狭い林道のような道に入って行って、着いたのは出丸の駐車場でした。「岩村歴史資料館」で、下調べをしてから…という目論見はもろくも崩れ去りました。気を取り直して、案内板を写真に撮り(下2枚)、休憩所でトイレを済ますと、次なる谷がやってきたのです。何と手洗いの水が出ないのです。もしやと思い隣の多目的トイレの手洗いも試しましたが、やっぱり出ない…。男性トイレには、さすがに試しに行けず、車に戻りウェットティッシュでしっかり拭きました。ちょっとどんよりしながらも、カメラ、スマホ、100名城のスタンプブックを持って攻城を開始しました。そして、いきなり現れる本丸にやっと山がやってきました。累々と続く石垣…、枡形虎口(上)に先ほどの谷2連発も忘れ大興奮!!しかし、その後更なる谷が私を待ち受けていたのでした…。廃城感漂う独特の雰囲気に酔いしれながら、攻め下りて行くと、スマホに「バッテリーが少なく、写真が撮れません」の文字が…。「yamapアプリとGoogle mapでバッテリー使い過ぎたか」、と思ったところで後の祭り…。スマホカメラは写真の位置情報の特定に便利だったのですが、ここで封印。本丸、東曲輪と隅々まで楽しみ、上から石段を下りて行くと横に何やら帯曲輪状の石垣が…。「六段壁」です。「六段壁」はやはり下から攻めないと感慨が薄れるようです。そして「八幡曲輪」、城を守ったと伝えられる「霧ヶ井戸」。「八幡曲輪」の紅葉も美しく、スマホの封印で落ちた気分もまた上がりました。ところがこの後、最大の谷が私を襲ったのです。「門跡」、「畳橋」と写真を撮りながら下りているとお腹が強烈に痛くなってきたのです。これはトイレに行かなくては、と思案したのですが、上に戻ったとしても、水の出ないトイレが待っているだけ。となると、「ここは先に(下に)進むしか無い」と、とにかく進みました。写真を撮るのも煩わしくなるぐらい痛み出し、「どうせもう一度戻らないと車は上だ」と、写真も撮らずにひたすら下へ下へ下りました。やっと建物が見えてきて、「歴史資料館」も見え、トイレの表示も見えました。ところが、トイレの入り口に鍵がかかっています。「歴史資料館休館日は、トイレに施錠しています」の張り紙が…。「えっ今日は月曜じゃないはず」と資料館の玄関を見ると、やはり閉まっています。大ピンチです。仕方なく、近くの案内板を見て、城下町の公衆トイレを目指しました。スマホの電源も落ちてしまっているので、マップも使えません。こんなときは、歩く距離がとてつもなく長く感じます。風情のある城下町もとても味わっていられません。やっとたどり着いたトイレでようやく生き返りました。さぁ、また出丸を目指して再攻城です。さっきスルーした「下田歌子の勉強所」「数々の門跡」を写真に撮ったり案内板を読んだりしながら上を目指しました。やはり下から攻めると、六段壁も迫力です。やっと車に戻り、100名城スタンプを押せる岩村コミュニティセンターを目指しました。次は御城印です。「岩村歴史資料館」が開いていればスタンプと一気に済んだのですが…。というわけで「ふれあいの館」を目指したら、一番近そうな第1駐車場に一般車両置けなくて、近くをグルグル…。やっと枡形のようなところに停めている車があったのでそこへ置き、「ふれあいの館」まで歩きました。無事御城印を買えましたが、まだチャージされていないスマホもカメラも持たずに来たので、岩村城のパネルと甲冑をつけた凛々しくも美しいおつやの方のパネルの写真は撮れませんでした。岩村城での私の体験を書いてきましたが、訪問ガイドにも記した通り、車の方は「岩村歴史資料館」前の駐車場に停めることをオススメします。やはり、城攻めは下から本丸を目指すのが味わい深いと思います。そして、「岩村歴史資料館」の休館日は、月曜と祝日の翌日、年末年始でした。私の行った26日(火)は、23日(土)が祝日だったため、日、月と飛ばして火曜日に適用されたと推測されます。これから攻城するみなさんも、このノートも参考に休館情報をよく見て攻城日を決めてくださいね。最後に谷が多かった岩村城攻城、「えなてらす」でタイミングよくコラボチラシを手にすることができ、山で終わることができました。終わりよければすべてよし!でした。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-11-27)

先ほど、東美濃山城攻城旅から無事帰宅しました。今回1泊2日で東美濃7城とオマケで1城、合計8城攻城しました。1日目は、昼前頃から雲が広がり、3時前頃には雨が降ってきたので、苗木城、阿木城、岩村城で終わりました。既に攻城記録は付けています。城活ノートをつけた苗木城と今日攻城記録をつけた明智城を抜いた6城の写真を付けました。あえて知っている人が見ればわかる写真にしました(笑)阿木城と岩村城も既に攻城記録をつけているのですが、写真の中に混ぜ込みました。これから、攻城記録をつけたり、城活ノートを書いたりしますので、暇のある方は、「あぁ、この城か」と思ってやってください。中下は、ちょっとわかりにくいかも…。

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黒まめさん が  苗木城(岐阜県中津川市)の城活ノートを更新しました(2024-11-26)

ステキなお城でした!今日は、雪も凍結もまったく心配ありませんでしたが、雪も凍結も勘弁して…おまけにスタッドレスも持ってすらいない黒まめなので、念には念を入れて、朝の冷え込む時間までに恵那峡SAまで走って、そこで数時間のプチ車中泊をしました。ワクワクしながら恵那峡SAから苗木城へと向かいました。資料館が9時半オープンなので、先に攻城を済まそうと思ったのですが、同じように早朝から攻城している人は数名おられました。資料館より先に攻城する方は、途中にあるパンフレット(右上写真のようにポストに入っています。)をゲットするのを忘れずに!懸造の天守展望台(左上)も、馬洗い岩(右中)も、大櫓跡(右下)も、すごくフォトジェニックで、ついつい写真を何枚も撮ってしまいます。残念なのは、二の丸(下中)から覗くと下に曲輪が見えているのに行けなかったことです。最後に資料館で楽しみにしていたジオラマを見て、切り絵の御城印もコラボチラシもゲットしたし、続100名城のスタンプも捺してきたしで、満足のいく攻城でした。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-11-19)

昨日の予告通り、道の駅と岸和田城行ってきました。京奈和自動車道で橋本まで行き、そこから北上して大阪外環状170号線沿いの「奥河内くろまろの里(左上)」「いずみ山愛の里(右上)」「愛彩ランド(右中、右下 見事な冬バラ)」の3駅を東から順に訪ね、岸和田城(左下、中下)へ。今回は、「秋の岸和田城下町めぐり」に参加する計画を立てたので、駐車場に悩みました。蛸地蔵駅周辺に1日350円の所もあったのですが、お城に近い市役所第4駐車場にしました。400円でした。立地の良さで50円の元は取れてると思います〜(笑)岸和田城下町めぐりの詳細について、久々にブログに挑戦してみようかと思います。岸和田の城下町もなかなかステキでした。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-11-18)

「近畿道の駅スタンプラリー」の締め切りが来年春と迫ってきました。もうコンプリートは諦めているのですが、半分(80駅ぐらい)は行けないかと、今日の半休で大阪の岬町に出没しました。「道の駅みさき(中左)」でスタンプを置いている観光協会のお姉さんが、「こんなのもありますよ、期間限定ですけど…」と言って出してきてくれたのが「大阪道の駅スタンプラリー」の台紙でした。また、沼りそうです(笑)「能勢くりの里」だけめちゃくちゃ遠かった記憶がありますが、10駅なので、何とかなるかなと足を突っ込んでしまいました。(すみません、以前のひとことで9駅と書いたような記憶がありますが、正しくは大阪10駅です。)というわけで、道の駅からの眺め(上、遠くに見えるのは淡路島)を堪能した後、少し和歌山の方へ戻り、「道の駅 とっとパーク小島(中右)」へとやってきました。この道の駅は、釣りをする人が多く、釣り用の入場券を購入すると下の写真の橋のような通路を通り突端まで行けて、海釣りを楽しめます。今日は風が強く、海の色も緑に近い青でした。タコせんべい(マヨネーズ味)に心惹かれ、帰りのオヤツに購入しました。明日は、岸和田城と城下町へ出かけようと思っているので、道の駅もいくつか寄ろうと計画の練り直しをしています。大阪だと、夜中の冷え込む時に峠を越えない限り、凍結等の心配はないと思うので、まぁ焦らずゆっくり…あっ能勢だけ早めに何とかしましょうか。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-11-12)

「わかやま歴史物語」の最後の2つ行ってきました。JR和深(わぶか)駅(左上)の駅前に車を置かせてもらい、上り線で隣の田子(たこ)駅(右上)までワンマンカーならぬワンマントレインに乗りました。田子駅は道に面していて車は置けないので、田子駅〜和深駅と、ちょっと不安な逆行で歩きました。紀勢道の延伸工事をしているので、通行止め区間があり、まわり道をしたら、一番歩きたかった「新田平見道」をスルーしてしまうという痛恨のミス…。でも、スタンプポイントの「新田平見道押印所(右中)」はシッカリ押さえてきました。かなり省略した熊野古道大辺路歩きなので、1時間少々で和深駅へ戻ることができました。ついでに一般道を迂回しないとたどり着けない下りホーム(右下)へも行ってみました。無人駅なので、改札もなんもありません。フリーパス状態です。汗もかいたので、次のスタンプポイント白浜町の「崎の湯(左下)」で温泉に浸かってきました。ブラタモリでも出てきた海岸沿いの露天風呂です。海の近くだと、思い切り波をかぶります。シャンプーも石けんも使えないし、洗い場すらありません。でもいいお湯でした〜。白浜温泉の源泉(中下)のすぐ近くです。さぁ応募しなくっちゃ!

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黒まめさん が  根福寺城(大阪府貝塚市)の城活ノートを更新しました(2024-11-10)

もうひたすら感動しました。とにかく大規模、土木量も凄まじいものがあります。今回は、地権者の方の案内で、素晴らしい遺構の隅々まで見せていただくことができました。バス停のすぐ近くにある「殿の墓(左上、ここは誰でも見学可)」からスタート。ここは城を築いた松浦肥前守守の墓と伝わりますが、墓碑銘が無く、詳細はわかりません。落城したとき捨てられることを恐れて無名にしたとの伝承があるそうです。ここから道向かいに案内板、登城口がありますが、登り始めるとすぐに立ち入り禁止のテープが張られています。地権者の方は奥様と2人で「根福寺城保存会」を立ち上げ、2人だけでコツコツと整備を続けられているそうです。「見てもらいたい」気持ちと「遺構を保護したい」気持ちの両方で折り合いをつけたのが今の状態なのではないかと思います。テープをくぐって登っていくと堀切状の「大門跡(右上)」「井戸跡」「土塁(中下)」「馬かけ場」を通過して下に降り、「毬蹴り場」「井戸の館跡」を通って、最大の見せ場「畝状空堀群(右中、1条目)」を見ました。通称「七つ砦」といい7条の竪堀が落ちています。しかし、ここは上も下も急斜面となっていて、畝状空堀群を築く意味が余り無いのではと思われます。「見せる」ための畝状空堀群だったのではないかと推測されるそうです。次に西の丸の最高所「千畳敷」へと登りました。松浦肥前守守はここで「連歌の会」なども催したそうです。おそらく建物もあったと考えられます。そして、西の方(千石堀城、淡路島、明石、六甲)が一望できます(左下)。次に東の丸へと向かいます。こちらには城の名前のもととなった「根福寺」があったようです。途中に数段の石垣がありますが、江戸時代頃に営まれた茶畑の石垣だそうです。こちらの最高所は三段の曲輪で最上段は「櫓台」と呼ばれています。そこから降りていくと今も深さがある二重堀切があります。この堀切で攻めて来る敵を怯ませ、竪堀に導き1列になったところを攻撃するという鉄壁の守りの場であったそうです。先日中井均先生も訪れ、3時間たっぷり見学し感動されていたそうです。このような機会に恵まれ攻城できたことは、幸いなことでした。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-11-06)

本日、「熊野古道世界遺産登録20周年記念道の駅スタンプラリー」、ラストラン行ってきました。紀伊半島横断「和歌山街道」コースです。今日も無料の京奈和自動車道にお世話になりました(笑)。国道166号線(和歌山街道)をひた走り、「飯高駅(右上)」へ。次は、そこから10分程の「茶倉駅(右中)」。そして、「伊勢志摩(右下)」がラストです。「伊勢志摩」が遠いので、ラストは3駅のみで、時間によっては、どこか攻城しようかな…ぐらいのプランで出かけました。「伊勢志摩」まで午前中に行けたので、攻城団のお城検索「地図で探す」を使い、現在地から近そうな「国府(こう)城(左下)」と「安乗(あのり)城(中下)」を攻城先に選びました。お城ページでGoogle mapに切り替えて、経路を出し、住所や地形をもとに車のナビに入れると二重のナビセットをして、無事2城攻城しました。この地図機能、めちゃくちゃ便利ですよ。ぜひみなさんサポーターになって使ってみてくださいね。話は戻り、安乗城まで来たら、安乗崎灯台まで行かなくちゃと、狭い道にも負けず行ってきました(左上)。灯台カードもダウンロードしましたよ。最近は、灯台印なる御朱印もあるようで、「大王崎灯台」と「安乗崎灯台」の2つに行くと、それぞれの頭文字「大」と「安」を組み合わせて「大安」御朱印をいただけるそうです。車の中は汗ばむほどの陽気でしたが、古くてイマイチ信用できんカーナビにツッコミを入れつつ、楽しく一人旅を終えました。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-11-02)

今日は朝からガッツリ雨が降り、ダムの放流やら警報発令やら、不穏な1日でした。風雨に弱いJR阪和線、きのくに線も止まっているのにバイトに駆り出された姪を夫が送って行ったのですが、「帰りには動いてるやろ」との予測が外れ、夜にはアルコール漬けになる夫になりかわり、私が姪を迎えに行ってきました。途中で、線路上で止まっている新大阪行の「パンダくろしお」という珍しいものを見たので、「これは普通ダイヤに戻るにはまだかかりそう」と思いながら車を走らせました。(写真は、別の日のパンダくろしお)和歌山だけでなく、あちこちで大雨が降ったようです。明日攻城予定の朝田丸さん、他のみなさんも十分気をつけてくださいね!

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黒まめさん が  霧山城(三重県津市)の城活ノートを更新しました(2024-10-30)

以前、三重県のお城を巡ったときに北畠神社と庭園のみ駆け足で攻城しました。時間が無く霧山城には行けなかったので、いつか攻城したいとの思いがやっと叶いました。国道から入っていくと、北畠神社の手前200mぐらいにある「美杉ふるさと資料館」に先ずは立ち寄りました。道に沿って大型車用と思われる駐車場もありますが、「美杉ふるさと資料館→」という矢印に沿って坂道を登ると、普通自動車用の駐車場もあります。どちらも無料です。入館も無料です。アンダーシャツの上に「ぼんてん・まる」のTシャツ、ジャージ素材のジョガーパンツといういつもの攻城スタイルで入っていくと、「国史跡の霧山城へ登られますか?」と聞かれました。「そのつもりです」と答えると、登城口、駐車場など詳しく教えてくれました。資料館の方は、「JAの前に車を置いて登るといいですよ」とおっしゃってくれたので、JA前も北畠氏城館跡、霧山城の駐車場として正式に認められているようです。鳥居をくぐり、赤い橋を渡って(左上)左に行くと井戸があり、その横が登城口(右上)です。井戸に杖がたくさん立てかけられていたので、下りのお守りにお借りして行きました。道は石ころもほとんど無く、綺麗に整備してくださっているので、とても歩きやすかったです。ただし、急坂なので、トレッキングシューズなどで登るのが良いと思います。本丸までは片道40分ぐらいかかります。途中「鐘突堂跡」に登る道には、縄張りが描かれた案内板(右中)もあります。ぼーっと登っていくと、矢倉跡に出て、本丸がどこかわからなくなってウロウロしました。矢倉跡からひときわ高く見える所が本丸で、たどり着けてホッとしました。矢倉跡からは比津峠を経て比津駅へと至るようです。(本丸だと思い覗きに行くと案内板があった) 周りを土塁に囲まれた本丸(右下)は、木や草も刈られてとても見やすくなっています。ただ、石の案内板の経年劣化が激しく、文字はほとんど読めなかったのが残念です…。風が強かったので、土塁の中で、案内板を風よけにしてランチタイムにしました。道の駅「伊勢本街道御杖」で買った牛すじコロッケ、道の駅「美杉」で買った「霧山城跡」というようかん(中下)、美味しかったです。 ようかんは抹茶味で、そんなに甘くなく後口スッキリで、お土産にもオススメです。風が強く寒くなってきたので、食べたらすぐに下山にかかりました。杖を借りてきてよかったと、急坂を下りながらしみじみ思いました。トレッキングポールも買わないとねとずっと思っているのですが…。何とか無事下山、北畠神社も参拝し、前に来たときとカメラも変わっているので、もう一度庭園(左下)も見てきました。池の水が漏れたとかで、作業されていました。その中の方がライトアップ情報を教えてくれたので、イベント情報でシェアします。とてもよく整備されていたので、一助にもなれば…と思い、御城印も購入してきました。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-10-30)

「紀伊山地の霊場と参詣道世界遺産登録20周年記念道の駅スタンプラリー」も、残りわずかとなってきました。今日は、「伊勢本街道コース」で、「宇陀路室生(左上)」と「伊勢本街道御杖(右上)」「美杉(右中)」の3駅と霧山城を巡ってきました。続100名城の「多気北畠氏城館跡」は、三重県津市にあるんですが、津市の中心街との間には国道368号線しか無く、しかもこの368号線、有名な酷道区間があるんです。以前、津市の方からアクセスして、半泣きで368号線を走った記憶が…。奈良県からは、そんなに酷道じゃ無いので、奈良県からアクセスし、また戻るルートにしました。霧山城攻城のため、ゆとりのあるコース設定で、美杉町の歴史資料館(左下、中下、右下は出土遺物)にも立ち寄りました。山城を攻める気マンマンの服装で入って行ったためか、入ってすぐ「霧山城行かれますか?」と聞かれました。詳細は城活ノートに書きますね。今日も道の駅巡りと城活を楽しんできました。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-10-26)

和歌山県立博物館の特別展「聖地巡礼―熊野と高野―」第Ⅲ期「人・道・祈り―紀伊路・伊勢路・大辺路をゆく―」を観覧してきました。今日はミュージアムトークの日だったのですが、間に合わなかったので、次回のミュージアムトークの日に再訪しようかなと思っています。。第Ⅲ期は、第Ⅰ期、第Ⅱ期と比べて出展品数も多く、図録(右上、表紙)も3倍ぐらいの厚さがありました。伊勢路以外は全て踏破しているので、懐かしい思いと共に見てきました。和歌山の主要な街道である熊野参詣道には、城が築かれることも多く、両者の関係性に目を向けるのも面白いです。大辺路の「富田坂」の登り口には「草堂寺」という臨済宗のお寺があるのですが、このお寺、長沢蘆雪縁の寺で蘆雪の手による襖絵もあります。ところが日頃は非公開なんです。安宅要害山城も近くにあるため、何度も足を運んでいるのですが、中へ入ったことがないという…。今回、その襖絵も出展されていて(右下、図録より)それが見られたのも良かったです。蘆雪は串本の無量寺にも残しているように虎が好きなようで、虎が多く題材になっていました。それも少しカワイイ虎です。会期を通じて入場するとスタンプがもらえるスタンプラリーもしているのですが、今期のスタンプは、蘆雪の落款でした(左下)。今回で3個集まったので、缶バッジゲット!迷いに迷った末、中辺路のシンボル「牛馬童子」のバッジ(左下)をいただきました。第Ⅴ期までコンプリートすると何がもらえるのかな?スタンプも展示品に関係するデザインなので、それも楽しみです。

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黒まめさん が  長島城(三重県紀北町)の城活ノートを更新しました(2024-10-22)

「長島神社の駐車場に車を停める」と決めて長島神社を目指したところまでは良かったのですが、カーナビが古くてポンコツになってきているためか、「そこはこの車通らんやろ」という道を指定されたりして、グルグルしました。何とか到着、先ずは長島神社に参拝して攻城しました。城主の加藤氏が織田信雄の家臣であった関係からか、奉納された幟旗には織田木瓜紋が入っていました。手水舎の右に道があるのですが、案内は何もありません。登っていくと、腰曲輪のような平地が何段かあり、愛宕権現社のある所も腰曲輪の1つではないかと思います。更に登っていくと、ベンチが置かれた削平地に出ます。ここが主郭です。主郭は2段になっていて、上の方には、アンテナ設備が立っています。腰曲輪のような平地も海に向かっているので、海を見張っていたお城なのではないかと思います。アンテナが立っている所から奥を覗き込むと、堀切らしきものが見えたのですが、行くことはできませんでした。後から思うと、私が登った所の他にもう一つ道があったので、そこから行けたのかもしれません。どうも骨折してから守りに入っているようです(笑)。道は苔生して落ち葉が積もっているものの、シダは刈られていて整備の手は入っているようです。30分程で往復できるので、攻城難度は低い方ではないでしょうか。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-10-22)

世界遺産登録20周年記念道の駅スタンプラリー、スタンプ帳が見つからずに、参加が遅くなったので、頑張って今日も行ってきました。とは言っても、三重県までだと結構な距離を走るので、1週間に1回ですけど。今日は、「紀伊半島横断して太平洋を見ながら帰る」コースです。①奥伊勢おおだい(左上) ②奥伊勢木つつ木館(右上) ③紀伊長島マンボウ(右中) ③海山(みやま、左下) ④熊野きのくに(中下) ⑤熊野・花の窟(右下)と6駅周ってきました。③は、建物よりオブジェのインパクトがなかなかでした。②と③の間の紀勢道は有料で、しかも数分しか変わらないので使わず、③と④の間は無料なので、使ってみました。(←セコい) PAがなかなか綺麗でした。③から車で5分程の長島城も攻城しました。③も④も熊野古道伊勢路の近くで、「歩きたい!!」と思いましたが、時間の都合で諦めました。いつか歩きに行こうと思います。最後の⑥は、日本最古と言われイザナミとその子カグツチを祀る「花の窟神社」に隣接しています。独特のパワーを感じるスポットなのでオススメです。今日は晴れ予報だったのですが、日本一雨量が多い尾鷲市は、安定の雨でした(笑)。ランチは、①で買った「きつねおにぎり」と「きゃらぶきいなり」です。今回も道の駅周辺には立ち寄りたいスポットが多く、「再訪しなくては!」と思いました。

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黒まめさん が  和歌山城(和歌山県和歌山市)の城活ノートを更新しました(2024-10-20)

和歌山城郭調査研究会の公開訪城会で攻城しました。スタッフとして参加したので、午前と午後の2回攻城しました(笑)ストリートミュージアムを使っての攻城で、4月に行った城旅とほぼ同じコースです。(というか私が昨年のこの企画を共有したわけです。)
訪問ガイドにも書きましたが、
わかやま歴史館の裏にあった「吹上門」から更に内側の「勘定門」があった所の石垣が左右異なる時代のものであることは、城旅参加者のみなさんにはお伝えしたのですが、砂岩と結晶片岩が混在し、主に結晶片岩の間詰石は長い年月の間に抜け落ちたものもあり、石垣補修の際、奥に土佐漆喰を注入した後間詰め石を詰めるという作業を行ったそうです。これが石垣補修の一つの形として、名古屋城からも見に来られたそうです。
大手門の裏紋について、こうの団長も質問してくださいましたが、門の瓦に家紋の瓦を使うことはほぼ無く、大体は巴紋の軒丸瓦が使用されるそうです。和歌山城でも門跡から裏紋の鍬形紋であれ葵紋であれ、家紋の軒丸瓦が発掘された記録も無いそうです。大手門復元の際、誰かが根拠なく裏紋を使う提案をし、そのまま裏紋の軒丸瓦を使用して復元されてしまったようです。
二の丸表御殿跡のすぐ近くにある井戸は、コンクリートで補修されているものの、中は当時の石組みが残っており、今も生きている(水がある)らしいです。(中は見ることができませんが、下に敷かれた石は当時のものだそうです。)堀の水位の上下と連動して水位が変化するので、どこかで堀と繋がっているのではないかということです。
今回得た情報は、また次回の城旅でも共有したいと思います。それまでに和歌山城を攻城される方は、「勘定門跡の石垣」、「二の丸の井戸(右中)」をぜひ御覧ください。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-10-19)

今日は「稲むらの火祭り」に参加しました。安政の大地震で起きた津波から村人を救うため当時の庄屋濱口儀兵衛(濱口梧陵)が、自らの田の稲むらに火をつけ、道しるべとした故事に則り、平成15年から行われている和歌山県広川町の祭りです。広川町役場前の「稲むらの火広場(松明を持って駆ける濱口儀兵衛像のある広場)」から、当時も村人の避難場所となった「廣八幡宮」までそれぞれ手に松明(中学生以上は本物の松明、小学生以下は、松明風ライト)を持って歩きます。写真は、廣八幡宮近くの田に用意された稲むらに火をつけたところ。この後非常食のカレーの炊き出しがある予定でしたが、あいにくの雨のため、レトルトカレーの配布で終わりました。小学校の教科書にも載った小泉八雲の「A living god」のモデルになった地域の偉人濱口梧陵を讃えると共に、防災意識の高揚のために行われる祭りで、炊き出しもローリングストックの一環で行われていると思われます。今後11月5日(安政の大地震が起こった日)の「世界津波の日」にも「津浪祭」が行われ、毎年10月〜11月にかけては、広川町では濱口梧陵一色になります。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-10-16)

今日も、「紀伊山地の霊場と参詣道世界遺産登録20周年記念道の駅スタンプラリー」で、道の駅巡りをしてきました。「伊勢本街道コース(霧山城攻城付き)」にする予定でしたが、雨予報が出ていたため、「奈良北部一筆書きコース」に変更しました。奈良県西北部の道の駅「大和路へぐり(左上)」からスタートし、「ふたかみパーク當麻(右上)」「かつらぎ(右中)」と南下し、東に向かい「飛鳥(左下)」から北上「レスティ唐古・鍵」、更に東の「なら歴史芸術文化村(中下)」、「宇陀路大宇陀(右下)」で締めくくり、京奈和自動車道で帰ってきました。「へぐり」では、以前攻城できなかった「西宮城」を攻城しました。今回初めて立ち寄った「なら歴史芸術文化村」では、文化財の修復工房を覗けるという予想外の楽しさで、再度ゆっくり訪れたいと思いました。「宇陀路大宇陀」では、天気の加減で山城攻城の用意をしていなかったこともあり、前回攻城時に見逃した「春日門跡」を訪ねました。道の駅でオススメされた黒門にも行けて結構満足しました。道の駅巡りもお城を絡めることで、満足度が増して、高揚しますね。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-10-10)

「紀伊山地の霊場と参詣道世界遺産登録20周年記念スタンプラリー」今日は、奈良、三重、和歌山の3県を周りました。全て周るためにコース分けをした内の「紀伊半島の真ん中縦断コース」です。そして、ケチケチコース(有料道路代¥700ナリ)で、頑張りました(笑)京奈和自動車道へ行くのに和歌山JCTまでの700円だけ使いました。一番行くのに大変そうな奈良県上北山村の「吉野路・上北山(左上)」へ北から突入、そこから南下して和歌山県の飛び地北山村の「おくとろ」そして、そこから更に少し南下、三重県紀和町の「熊野・板屋九郎兵衛の里」(赤木城の最寄で、今はスタンプも置いているし、鉱山資料館の隣なので何度か来たことアリ)、そして太平洋へと出ました。三重県御浜町の「パーク七里御浜(右上)」、同じく紀宝町の「紀宝町ウミガメ公園(右中)」ウミガメ公園は、その名の通りウミガメを飼育・展示しています。「なんか寄ってくるなあ」と思っていると、エサを売っているので、やる人がいるからのようです。そしてお馴染みの道で帰ろうと新宮から国道168号線で、今度は北上、「瀞峡街道熊野川」「奥熊野古道ほんぐう(左下)」、西へ向かい、「熊野古道中辺路(中下)」で本日の道の駅巡りは終了。右下は、オマケで資料写真を撮りに寄った、近くの砂防ダムです。紀伊半島の3桁台国道は、一般に「酷道」と呼ばれていますが、今回の道はそんなに酷道ではないです。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-10-07)

本日は久々の月曜半日出勤だったので、ポツっと残していた道の駅と「フォトジェニックわかやま」のスタンプを取りに行ってきました。。まず、平須賀城のジオラマがある「道の駅 みなべ梅振興館(左上)」へ。紀州徳川家の付家老安藤帯刀が田辺と共に支配していたときに、平地が少なく米での安定収入が見込めないため梅栽培を始めたのが、みなべの梅の始まりです。今では収穫量日本一です。そこから、ベタな白浜名所「三段壁(右中、右上ジオサイト案内板、右下薬師堂)」と「円月島(左下)」に行ってきました。三段壁は、36m下の洞窟が熊野水軍の船隠しだったということで、久々に降りてみようと思ったのですが、入場料が1500円と思った以上に値上がりしていたので、Uターンしてしまいました。(笑)ここも、中国人観光客がほとんどでした。その後、白浜のシンボル円月島(本名、高島)へ。撮影スポットなので、道の所々に駐車スペースが設けられていて写真を撮りやすいです。海蝕洞の中に太陽がスッポリとハマるような日は結構混むのだと思います。ここまでとても良い天気だったのですが、帰りの自動車道でスコールのようなすごい雨が降ってきました。

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今日のレビュー

イラストでサクッと理解 流れが見えてくる日本史図鑑

人を選ぶ本だと思います。
タイトル通り、流れを理解するにはいいと思います。
簡単になっている分、因果関係が短絡的になりすぎかなと思う部分もあり物足りない印象を受けますので、時系列を理解するためのとっかかりにはおすすめです。

はつみんさん)

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