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攻城団で丸2年、11月14日で3年目を迎えます。衰えてきた記憶力とは裏腹に、知識欲が増し、充実した毎日を送っています。特に地元の歴史の面白さにはまっています。お城の見方も、少し上達(?)したかな。これからもお城と歴史を楽しむぞ~!

黒まめさんのタイムライン

黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2022-09-23)

今日から「創建三百五〇周年記念特別展 南龍神社と矢櫃」が始まったので、見てきました。和歌山県有田市の矢櫃浦(やびつうら)は、17世紀の初めごろまで人家のない荒磯だったといわれています。元和年間に徳川頼宣が熊野太田の津荷浦(現 串本町)から呼び寄せたニ夫婦(茂兵衛と妻くま、茂太夫と妻ちよ)の子孫が繁栄し、明治期には80戸まで増えたと伝わります。矢櫃の人たちは、頼宣に感謝し、頼宣死去の翌年の1672(寛文12年)に南龍神社(右下 鳥居)を建立し、頼宣坐像(右上 図録より)を祀り、お日待ちを行ってきました。お日待ちでは、若者たちが海で身を清め、恵比寿神社(下中)と南龍神社に参詣する「裸参り」から始まり、頼宣坐像を乗せた子ども神輿(右中)なども出て、頼宣廟所のある海南市下津町の長保寺へ好物の小豆を持っての参詣で終わります。矢櫃には、狼煙場(左上)も築かれましたが、頼宣はそういった意味での重要性も、見越していたのかもしれません。今は、過疎化と住民の高齢化が課題ですが、穏やかな海の風景(左下)は変わっていません。当時の人たちの気持ちはわかりませんが、平和をもたらしてくれた徳川家に連なる紀伊徳川家に特別な思いがあったのかもしれません。

黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2022-09-22)