河内守泰吉

河内守泰吉(かわちのかみやすきち)さん 大老 サポーター   フォロー

入団してからは攻城三昧となり、次はどこへ攻めようかと考えるのがとても楽しくて仕方ないです。恐るべし攻城団。作事と普請が好き(全部やん!)で、攻城しては写真を撮りまくっており、アップしているのは、ダイジェスト版です。

河内守泰吉さんの攻城記録一覧(履歴)

地図・制覇率・分析はページを移動しました

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詳細は以下でご説明しております。

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 城ケ平城(岐阜県大垣市) を攻城

 大物城(兵庫県尼崎市) を攻城

 中島城(滋賀県長浜市) を攻城(2023/01/09)

かっては城址南側に沼池、北側には湿地があったことから、小さくても充分、機能していたとが分かるお城で、方形の土塁で囲まれた主郭が素晴らしいです。また、援軍の越前勢に攻守共に有利な丁野山城を譲っているのが、面白いです。

 丁野山城(滋賀県長浜市) を攻城(2023/01/09)

陣城と思いきや朝倉の築城技術が詰まった素晴らしいお城で、中島城から城址を経て谷田神社への縦走を強くオススメします。山全体が見所で溢れていますよ。

 宮川陣屋(滋賀県長浜市) を攻城(2023/01/09)

民家の庭先に城址碑があり、向かいの日枝神社の由緒書にも陣屋に関する記載があります。

 垣見氏館(滋賀県長浜市) を攻城(2023/01/09)

細い路地を進むと城址に至ります。土塁、堀の一部が残存しており、城主の垣見氏は、浅井氏滅亡後は帰農されたそうです。

 小野陣屋(兵庫県小野市) を攻城(2023/01/03)

神鉄小野駅の西側出口を出て、駅前ロータリーにある歩道橋を上って、歩くと陣屋跡の小野小学校に到達します。名残は陣屋内にあった磐代神社ぐらいでしょうか。

 高木大塚城(兵庫県三木市) を攻城(2023/01/03)

城址は、円墳を櫓台として利用し、それを低い土塁が迷路のように囲む面白い縄張りで、三木ホースランドパーク内にも城址の一部である高木大塚土塁が残存しています。

 三木城(兵庫県三木市) を攻城(2023/01/03)

神鉄三木上の丸駅から本丸北角に到達する階段を使って攻城しました。城址は本丸(上の丸公園)、二の丸(図書館周辺)、新城、鷹ノ尾城、雲龍寺周辺まで含めたとてつもなく大きいお城で、南は丘陵と谷、その他三方は崖と難攻不落な感じがしました。

 松原城(兵庫県神戸市) を攻城(2023/01/03)

城址は、ニュータウンの建設工事中で工事柵に囲まれており、立ち入ることが出来ません。また、神鉄道場駅東横にある空堀らしきものは、かっての有馬軽便鉄道の線路跡です。

 茶臼山城(兵庫県神戸市) を攻城(2023/01/03)

バスの便数が多い上津台側からたかつこ公園を通って攻城しました。城址は、本丸、南丸の曲輪があり、もしかしたら前方後円墳を活用しているのではという地形で、各曲輪の周りは、整備用の林道が巡っていますが、土塁、竪堀が確認出来ます。

 成岩城(愛知県半田市) を攻城(2022/12/27)

城址碑の横にある空き地は、にじいろ保育園の建設工事中で、そのためか城址碑も見当たりません。

 大草城(愛知郡)(愛知県長久手市) を攻城(2022/12/23)

廃城から年月が経過し、主郭は民家と更地に、城址碑のある森や東郭にもブルドーザーによる造成工事跡が見られますが、森長可公の改変による素晴らしいお城で、辛うじて、土塁、堀切等が分かります。

 坂部城(愛知県阿久比町) を攻城(2022/12/27)

阿久比町立図書館の風除室に再現ジオラマとお城に関するチラシがあります。城址は主郭東側に土塁が、南側と西側に空堀がありますが凄い竹藪です。

 佐布里古城(愛知県知多市) を攻城(2022/12/27)

佐布里ダム記念館の敷地内西側に城址碑があり、来訪者用の無料駐車場もあります。

 木田城(愛知県東海市) を攻城(2022/12/27)

天尾神社の北西が城址ですが、民家、擁壁、竹藪に阻まれ、天尾神社参拝で攻城としました。なお、北側から神社への道路は対向不可で、神社東側に参拝者用駐車場があります。

 岩崎城(愛知県日進市) を攻城(2022/12/23)

かっての城址は広く、残っているのは、ほんの一部で、昔からある空堀、土塁、櫓台、曲輪と模擬天守(入城無料)とのアンバランスさがとても良い感じです。

 藤島城(愛知県日進市) を攻城

 岩作城(愛知県長久手市) を攻城(2022/12/23)

城址碑は長久手市役所の駐車場南東角にある植え込み内にあり、市役所駐車場は、無料です。

 長久手城(愛知県長久手市) を攻城(2022/12/23)

住宅地の中に小さなお堂があるところに城址碑と城主の子孫である尾張藩士が文化6年(1809年)に建てた石標があります。なお、この石標は、区画整理により現在地に移されたものです。

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今日のレビュー

凸凹地図で読み解く 日本の城 ~この地にこの城を建てた理由(ルビ:わけ) (ビジュアルはてなマップ)

ブラタモリ好きにはたまらない一冊である。見やすい陰影段彩地図で地形、高低差が一目瞭然である。特に見て楽しいのは平山城。
 平山城の定義通りではあるが、緑色の平地に浮かぶ茶色の高地が、すべて城域なのか、城の外にもつながっているのかがよくわかる。
 それぞれに「地図職人の眼」という400字程の文章で、そこが台地、段丘、あるいは地山か、また、その岩質や地形の成立過程まで解説されている。中でも小諸城の解説では長年の疑問が氷解した。

幸丸さん)

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