三河国岡崎藩本多家の分家。郡山藩本多家の初代藩主・忠平の2番目の弟、忠以が陸奥国浅川藩を立て、忠以病没後は、忠以の弟の忠晴がこれを相続した。忠晴のときに三河国伊保藩、遠江国相良藩へと転封され、4代・忠如のときに、陸奥国泉藩に封じられた。この家系は明治維新まで存続している。
三河国岡崎藩本多家の分家。郡山藩本多家の初代藩主・忠平の2番目の弟、忠以が陸奥国浅川藩を立て、忠以病没後は、忠以の弟の忠晴がこれを相続した。忠晴のときに三河国伊保藩、遠江国相良藩へと転封され、4代・忠如のときに、陸奥国泉藩に封じられた。この家系は明治維新まで存続している。
└ 本多家(忠朝系)
└ 本多家(政利系)
└ 本多家(泉本多家、忠以系)
└ 本多家(忠周系)
└ 本多家(政朝系)
江戸幕府が樹立された1603年(慶長8年)から、廃藩置県が断行された1871年(明治4年)までの期間において、本多家の当主が藩主をつとめた履歴です。
寛文2年(1662年)11月〜天和元年(1681年)9月
天和元年(1681年)9月15日〜宝永7年(1710年)
宝永7年(1710年)〜延享3年(1746年)
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