観音寺城があった繖山(きぬがさやま)の山頂近くには現在、観音正寺があります。
天台宗系の仏教寺院で、西国三十三所第32番札所です。
観音正寺の本堂は彦根城の欅御殿(けやきごてん)を移築したものでしたが、1993年(平成5年)に焼失したため、2004年(平成16年)に木造入母屋造の本堂が再建されました。
伝承によれば、観音正寺は聖徳太子がこの地を訪れ、自刻の千手観音を祀ったことがはじまりだそうです。
聖徳太子はこの地を訪れた際に出会った「人魚」の願いにより寺を建立したといい、その人魚のミイラとされるものがあったのですが、1993年(平成5年)の火災で焼失しました。
この火災では重要文化財に指定されていた本尊千手観音立像も焼失しています。
また、観音正寺はかつて織田信長が観音寺城を攻め落とした際に、焼き討ちにあい、全焼しています。
その後、慶長年間(1596年〜1615年)に再興され、現在に至ります。
観音寺城(国史跡)と観音正寺
戦国時代の世の中で、北陸・関東地方の武士達は、すでに日本を治める力を失った足利将軍の室町幕府を倒して、自分が天下をとろうとねらっていた。
このため、室町幕府の近江守護職に任ぜられていた佐々木六角定頼は、すでに砦を築いていた観音寺山に本格的な城郭を建てて、東山道(中山道=今の国道八号線)を京都へ向かう軍勢を見張っていた。
観音寺城は山全体に石垣を築いて要塞とした大規模な山城で、当時の城の遺構が良く保存されているため、昭和五七年に国の史跡に指定されている。
また城跡への途中にある寺は、木造千手観音(室町時代の作。重要文化財)を本尊とする観音正寺で、城を護る役割をしていたようである。
西国三二番の霊場である。安土町