平林城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。
平林城跡の由来
平林城跡は麓の館城跡と自然の山林を巧みに利用して築城された古城址から成り立っている。 伝来文書によれば麓の館城跡は建久の昔(一一九〇年)豪族平林内蔵介代々の居城であったが南北朝動乱のさい、平林氏は色部氏の意向に反して新田義貞勢に属したため、色部公に攻められ領地と共に没収されたことを伝えている。 山頂までの古城址は磐船小泉荘平林加護山城と呼ばれ、嘉禄の昔(一二二六年)入部した色部氏累代の居城であった。 戦国時代、色部家では勝長、顕長、長眞と名将が相次いで出現し、上杉謙信公の股肱の臣(腹心)と頼られた。慶長三年(一五八九年)色部氏は米沢金山城へ移った。在城三百七十年、平林城は廃城となり現代に至っている。戦国時代色部氏系図
―昌長(第十一代)―憲長(第十二代)―勝長(第十三代)―顕長(第十四代)―長眞(第十五代)―光長(第十六代米沢金山城主)昭和二十九年二月十日 新潟県文化財指定
昭和五十三年九月十八日 国文化財史跡指定
村上市教育委員会
平林城址保存会