平林城
平林城

[新潟県][越後] 新潟県村上市平林


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.90(--位)
  • 見学時間:40分(--位)
  • 攻城人数:94(1178位)

平林城跡の案内板

平林城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。

平林城跡の由来
 平林城跡は麓の館城跡と自然の山林を巧みに利用して築城された古城址から成り立っている。 伝来文書によれば麓の館城跡は建久の昔(一一九〇年)豪族平林内蔵介代々の居城であったが南北朝動乱のさい、平林氏は色部氏の意向に反して新田義貞勢に属したため、色部公に攻められ領地と共に没収されたことを伝えている。 山頂までの古城址は磐船小泉荘平林加護山城と呼ばれ、嘉禄の昔(一二二六年)入部した色部氏累代の居城であった。 戦国時代、色部家では勝長、顕長、長眞と名将が相次いで出現し、上杉謙信公の股肱の臣(腹心)と頼られた。慶長三年(一五八九年)色部氏は米沢金山城へ移った。在城三百七十年、平林城は廃城となり現代に至っている。

戦国時代色部氏系図
―昌長(第十一代)―憲長(第十二代)―勝長(第十三代)―顕長(第十四代)―長眞(第十五代)―光長(第十六代米沢金山城主)

昭和二十九年二月十日 新潟県文化財指定
昭和五十三年九月十八日 国文化財史跡指定
村上市教育委員会
平林城址保存会

   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

平林城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸

攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。

まーちゃんさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る