お城横の松阪市駐車場から歩道に出たところに設置されていました。
表門の案内板の横に設置。 工事中のため天守へ行くまわり道ルートが表示してありました。
表門から二ノ丸へ続く大迫力の石垣。
表門入った正面にあります(写真真ん中)
北側から。石垣工事中のためぐるりと北側から回り込むように本丸へ向かいます。
きたい丸の外側(北西面)
きたい丸外側(北西面)
きたい丸外側、角櫓跡の下から。石垣の折れがあるため奥の石垣が重なって見えます。
きたい丸北側の石垣
きたい丸西側の石垣
写真奥の桝形のところです
道路に面してすぐ石垣が迫ってきていて大迫力です
二の丸東側から表門跡にかけての石垣。ここも道路に面してすぐ石垣が迫っていて迫力があります。
奥の金の間櫓の石垣修復のため一部通り抜けできなくなっています。
鐘ノ櫓跡から見た遠見櫓跡。下が助左衛門御門跡
きたい丸の角に設置されていた櫓跡。東西南北の角に設置されていたと記されてます。
北西方向の眺めです
きたい丸の何か所かある角櫓跡。石垣が圧倒的でした。
きたい丸側から見た天守跡石垣
本丸内部から
天守跡から
北東側から。奥に敵見櫓跡、天守跡と続きます。
二の丸跡から
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豊臣秀吉と柴田勝家の雌雄を決した賤ヶ岳の戦い。この戦いで活躍した、賤ヶ岳七本槍のメンバーのその後の人生と、八本目の槍、石田三成との人間模様を描いた物語です。
福島正則、脇坂安治、片桐且元、平野長泰、加藤清正、糟屋武則、加藤嘉明、7人のひとりひりの小姓時代の呼び名で物語が構成されてます。
それぞれが違う生い立ちの中、豊臣秀吉の小姓として見出され、天下分けめの関ヶ原の戦いで、東軍についたもの、負けるとわかっていても西軍についたもの、その後の世の中の流れを見据えた石田三成が、それぞれ7人に思いを寄せ、奔走した様が描かれており、石田三成の戦旗に記された意味が読み取れます。
本の帯にある通り、この小説を読み終えた時、その男石田三成を、大好きになりました。
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