大河内城
大河内城

[三重県][伊勢] 三重県松阪市大河内町


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.20(--位)
  • 見学時間:44分(--位)
  • 攻城人数:212(499位)

大河内城の案内板

大河内城に設置されている案内板の内容を紹介します。

大河内城跡(おかわちじょうあと)
県指定史跡
昭和十二年十一月五日指定
指定面積
五一、〇五一・三三平方メートル
時代
室町時代

 標高一一〇メートル余りの丘陵突端部一帯、三〇〇メートル四方の範囲内に築造され、東裾には阪内川、北裾には矢津川が流れ、南裾と西裾には深い谷が巡って自然に要害の地を形成している。城の縄張りは本丸を中心に北を大手口、南を搦手口(からめてぐち)とし、西に西ノ丸、東に二ノ丸・御納戸・馬場などを配し、随所に堀切や台状地が残る。
 大河内城は応永年間、伊勢国司北畠満雅(きたばたけみつまさ)により築城され、弟顕雅(あきまさ)が入城して、その子孫は代々「大河内御所(おかわちごしょ)」を称した。永禄一二年(一五六九)八月、本城をめぐって北畠具教(とものり)と織田信長が対峙し、北畠氏は五〇日にもおよぶ籠城戦に耐え、やがて和睦が成立している。この一大攻防の結果、本城は難攻不落の堅城と称賛されたが、天正三年(一五七五)には信長の次男北畠信雄により廃城となる。        
二〇〇七年三月九日 松阪市教育委員会

   

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江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸

攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。

まーちゃんさん)

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