臼井城
臼井城

[千葉県][下総] 千葉県佐倉市臼井田869


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.03(272位)
  • 見学時間:42分(301位)
  • 攻城人数:146(275位)

臼井城の歴史

1114年(永久2年)、坂東平氏で初代千葉氏当主、千葉常兼の子で、常重の弟にあたる千葉常康が臼井に居を築き、臼井六郎を称したと伝えられますが、その居館がこの臼井城であったかどうかは定かではありません。
本格的な築条時期は臼井氏の中興の祖といわれる臼井興胤の代(14世紀中頃)だと伝えられています。

その後、臼井城は太田道灌上杉謙信に攻められるなど、何度も合戦の舞台となります。
落城も経験していますが、籠城戦に成功した例もあり、1566年(永禄9年)には、上杉謙信と里見義弘に攻められますが、原胤貞より指揮を受け継いだ軍師・白井浄三の知謀とその指示に基づいた北条氏側の松田康郷らの働きによって謙信を大敗させています。

戦国時代末期には原氏が城主でしたが、1590年(天正18年)の「小田原征伐」以降は徳川家康の家臣である酒井家次が3万石で入封して城主となりました。
しかし1593年(文禄2年)に城内より出火したため、臼井城は灰燼に帰すことになり、酒井家次は1604年(慶長9年)12月に上野国高崎藩に加増移封となったため、臼井藩は廃藩となり臼井城は廃城となりました。

室町時代後期以降の戦乱の時代において、後期千葉氏の拠る本佐倉城と比べて歴史的により重要な役割を果たしましたが、戦乱の時代が終わり、土井利勝により1610年(慶長15年)に佐倉城が完成するに至ってその役目を終えました。

臼井城の歴史・沿革

西暦(和暦)出来事
12世紀中頃臼井常康が築いたと伝わるが定かではない
14世紀中頃本格的城郭として整備される
1479年(文明11年)太田道灌の率いる上杉方に攻められ、七ヶ月に及ぶ篭城の後落城
1557年(弘治3年)臼井久胤の後見として原胤貞が入り、原氏の支配下となる(1551年(天文19年12月(旧暦))とする説もある)
1561年(永禄9年)上杉謙信に呼応した里見側の正木信茂に攻められ落城
1564年(永禄7年)原胤貞が奪還
1566年(永禄9年)臼井城の戦いで上杉・里見勢に攻められるが、これを退ける
1574年(天正2年)生実城が里見氏の手に落ちたため、原氏の本拠となる
1590年(天正18年)小田原征伐により原氏が滅び、豊臣側に接収され、後に酒井家次が封じられた
1604年(慶長9年)酒井家次の高崎移封に伴い廃城となった
   
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