源義経終焉の地。北上川を見下ろす高台にあります。首のない遺体がこの地に埋められ祠が建てられたそうです。1683年に仙台藩主伊達綱村が義経堂を建立。現在の堂は1808年再建。 宝暦年間(1751~1763年)の作とされる甲冑姿の義経像が本尊として祀られています。写真にも顔が見えると思います。
田村家居館跡 天和(てんな)2年(1682)、田村建顕(たむらたけあき)が仙台藩の支藩一関藩3万石の大名として入部しました。その際に築造された居館は、古来の館や堀は使わず城の構えに見えないようにと江戸幕府から指示があり、釣山の北東側に簡単な堀と白壁を巡らせた形としました。内部は、西側が田村家の生活する場所として、東側が一関藩の政治を行う場所として主に使用されていました。なお、この場所は居館の西端にあたります。 明治4年(1871)、一関県が成立した際には県庁として利用されましたが、それまであった建物は取り壊されたり払い下げられたりしていきました。明治9年(1876)に岩手県に編入されてからは、裁判所や郡役所などが置かれました。現在は、盛岡地方裁判所一関支部などがあり、また一関市城内として地名が残っています。
ここも世界遺産ですね。奥州藤原氏2代基衡時代に形成。
千畳敷が広がる主郭にあります。
源義経終焉の地。北上川を見下ろす高台にあります。首のない遺体がこの地に埋められ祠が建てられたそうです。1683年に仙台藩主伊達綱村が義経堂を建立。現在の堂は1808年再建。 宝暦年間(1751~1763年)の作とされる甲冑姿の義経像が本尊として祀られています。写真にも顔が見えると思います。
奥に田村神社があります。
千畳敷にあります。
一関市内です。奥に一関駅が見えます。
全山公園となっています。
一関に泊まった目的は、世界遺産中尊寺へ行くことでした。周辺スポットとしてアップします。
左側奥が衣川。芭蕉もこの景色を見て月日は百代の過客・・と思ったことでしょう。
「夏草や兵どもが夢の跡」の句碑。左側が芭蕉の真筆といわれ、甥の碓化坊也寥による建碑。右側は1806年に地元俳人素鳥たちが建てた副碑
1989年に再建。2011年に世界遺産登録。
毛越寺山門は、一関城の大手門を移築したものです。
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