大庭城
大庭城

[神奈川県][相模] 神奈川県藤沢市大庭城山


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.76(--位)
  • 見学時間:42分(--位)
  • 攻城人数:269(399位)

舟地蔵伝説

大庭城には「舟地蔵伝説」と呼ばれる言い伝えがあります。
これは、北条早雲が大庭城を攻め落とした際に、城周辺の沼地を干上がらせるための方法を教えてくれた老婆を斬り殺したというもので、この老婆を哀れんだ地元の人々が祀ったのが舟地蔵だといわれています。

ただし大庭城に攻撃を受けた記録がないことや、老婆がボタ餅を売っていたという点(このような飴・菓子の辻売りは、江戸時代以降の街商風俗であり、室町時代にはこのような風習はなかった)、また舟地蔵信仰は江戸中期に関東一円に広まっていたことなどから、この伝説は江戸中期以降の創作だと考えられるそうです。

舟地蔵
地蔵尊の台座が舟型になっていることから舟地蔵と呼ばれています。その昔、北条早雲が大庭城を攻めたとき付近一帯は沼地で、なかなか攻め入ることができませんでした。北条方は、沼近くに住む老婆から引地川の堤を切れば沼は干上ることを聞き出しましたが、秘密漏れを防ぐため老婆を斬り殺してしまいました。その結果、北条方は、ようやく城を攻め落すことができたそうです。舟地蔵は、殺された老婆を供養するため建てられたという言い伝えがあります。表郷町内会

藤沢市のホームページには舟地蔵伝説の紹介と、その検証された内容が書かれています。

 北条軍がこの城を攻撃した際、城の前面と左右に広がる田のあたりは一面の沼地であった。攻略しかねた北条軍の武将達は、軍議を重ねたが、いたずらに対陣の日が過ぎていった。
 ある日、城の対岸の稲荷(小字名)でボタ餅を売っていた老婆に北条方の武将の一人がどうしたらいいものかと相談したところ、「わけはありません。堤を切れば水は干上がります」と堰(せき)の場所まで簡単に教えてくれた。 喜んだ武将は、大事がもれるのを恐れ、老婆を斬り殺し、その夜のうちに堰を壊したので、満々と城の周囲に湛(たた)えられていた水は、すっかり引いてしまった。
 北条勢の正面からの総攻撃により、さしもの大庭城も落城してしまった。哀れな老婆の死を悼んだ土地の人々が城跡のそばに地蔵様を建てて祀(まつ)ったのが、舟地蔵である。地蔵様は、左手に宝珠をもっているが、土地の人々は、これは宝珠ではなくボタ餅だと言っている。
 また、堰のあったと言われる現在の柏山稲荷の付近は、大庭城の搦手(からめて)で、一旦有事の際には堰を閉じれば大庭の耕地は一面の湖と化し、大庭城をして難攻不落の名城とする使命を有した要害で、重臣の吉田将監(しょうげん)に守らせたと言われ、ショキヤシキ(将監屋敷)の地名が残されている。ほかに、大庭城の南、小糸川を隔てた台地には、「築山(つきやま)」という地名が残され、城をせめあぐねた北条勢が、大庭城に近付くために築いた山であると言われる。
 また、老婆がボタ餅を売っていた場所は、大庭城址の対岸にある「だんごくび」というところであるという。藤沢市|藤沢を知る「大庭城」

大庭城址公園の近くに「舟地蔵」という信号があり、そのすぐ近くにあります。
また、舟地蔵の向かい側には、舟地蔵公園があります。

   

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