大庭城は太田道灌によって台地上に築かれた連郭式の縄張りと推定されています。
大庭城址公園内には、それぞれの曲輪を区画するための空堀が、東西に横断するように3本残っています。
城の南側には掘立柱建物址の案内板と石柱があります。
この石柱は1968年(昭和43年)の発掘調査で見つかった高床建築の柱穴の位置を示すものです。じっさいの柱穴は地下に埋まっているそうです。
掘立柱建物址(ほったてばしらたてものし)
大庭城は、台地上を東西に横断する三本の空堀(からぼり)によって、一の郭(くるわ)、二の郭、三の郭、四の郭にわかれています。ここは、最南の郭にあたり、北縁の空堀によって、北側の郭と区画されています。周囲には、土塁(どるい)の跡が部分的に見られ、東斜面には腰郭(こしぐるわ)、西斜面には二段の空堀や帯状の腰郭が残っています。
この石柱は、昭和43年の発掘調査で確認された高床建築の柱穴の配列(掘立柱建物址)を示したもので、実際の柱穴は現地表下50cmに保存されており、これは原位置ではありません。
このほかにもいくつかの遺構が発見されていますが、この郭が大庭城のなかで、どのような役割をはたしたかは、今後の全面的な発掘調査を待たなければわかりません。