赤木城
赤木城

[三重県][紀伊] 三重県熊野市紀和町赤木


  • 平均評価:★★★★☆ 3.58(--位)
  • 見学時間:43分(--位)
  • 攻城人数:854(176位)

赤木城の案内板

赤木城は築城の名手、藤堂高虎によって築城された平山城です。付近の北山一揆を取締るために築城されたといわれ、築城期の原形が残っています。

赤城城の麓にある駐車場に設置された案内板の内容を紹介します。

赤木城の由来
赤木城の築城年代については和歌山藩が編纂した「紀伊風土記」には寛文雑記を引いて天正年間、藤堂佐渡守(のち和泉守高虎)と、羽田長門守の両人が北山代官のとき築き、罪を犯した者を赤木城の西方の田平子峠で斬首し獄門にしたと記している。また熊野市神山の倉谷家文書には、天正十六年(一五八八)大和大納言(豊臣秀長)の北山攻めの後、築城したとある。
藤堂佐渡守は天正十三年の紀州攻めの際北山入りし、文禄四年(一五九五)四国伊予三郡を与えられるまでの十一年間北山付近に在居し、この間二度の北山の陣で一揆方を成敗したり北山材の切り出しを行っているのでこの頃に現在の城郭に整備したものと考えられる。
この城の特長は中世と近世の築城法を併用した平山城である南北約一三〇メートルの尾根を中心にして縄張りし、主郭、南の郭西の郭を地割し主郭の東側下の犬走りは北の付曲輪とその下方約五〇メートルの堀切に通じている。
また、南の郭の下には付曲輪を残しその西側には自然の谷を空堀にし防御に備えている。
石垣は野面乱層積みで反(そり)がなく主郭の四隅は算木積みと横矢掛りの工法を用いている。
築城当時の原形を残した城跡は全国でも少なく貴重である。
このため昭和五十七年四月田平子峠と共に、三重県史跡に指定され、平成元年十月九日には官報第二〇九号の告示によって国の史跡となった。平成三年三月
紀和町教育委員会
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

赤木城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

全国 御城印 大図鑑

圧倒的ボリュームで大変満足です。家紋にも丁寧な説明が有り、駆け出しの私でもとても分かりやすかったです。購入出来なかった限定版も載ってあり、見ても読んでも楽しめました。どんどん増えていますので第二弾もお待ちしております。写真掲載ありがとうございました。

早秀熊雄さん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る