高天神城
高天神城

[静岡県][遠江] 静岡県掛川市上土方嶺向3136


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.48(72位)
  • 見学時間:1時間6分(64位)
  • 攻城人数:1020(108位)

高天神城の歴史

武田氏と徳川氏が何度も争奪した高天神城の歴史を時系列でまとめています。

高天神城とは

高天神城は現在の静岡県掛川市に所在した山城です。
鶴翁山あるいは高天神山と呼ばれる標高約132mの山に築かれ、規模は大きくないものの非常に防御力の高い山城だったことが知られています。
遺構は本丸・二の丸・帯郭・空堀・土塁などの跡が残り、石垣は確認されていません。

築城年代には諸説あり、平安時代から15世紀終わり頃までの伝承や記載があるとされていますが、確実な例は16世紀初め頃と考えられています。
これは今川氏親の遠江進出に伴う軍事行動の一環であり、16世紀初め頃以降の多くを、国衆の小笠原氏が城主として務めていました。

1560年(永禄3年)には高天神城から城兵が桶狭間へ向けて出陣したことが記録されていますが、今川義元の敗死によって遠江の勢力図は激変。1568年(応永11年)には当代城主・小笠原長忠が徳川家康に臣従することを選択します。
以降、当城は南進を目論む武田氏と、遠江の権益を死守する徳川氏とのせめぎあいにおいて最前線の様相を呈していきます。

1571年(元亀2年)、武田信玄率いる2万5000の軍から攻撃を受けるも、小笠原貞頼らが2000の兵で籠城しこれを撃退。高天神城の優れた防御能力を知らしめます。
以降も三方原や諏訪原などの重要戦闘へと当城から兵力が派遣されますが、1574年(天正2年)には武田勝頼の軍によって、信玄も成しえなかった当城の攻略が達成されます。

当代城主の小笠原長忠は降伏したことにより助命され、以降も在城衆の濫妨狼藉を禁じたり、高天神城より移住した被官の諸役を免除する布告を出したりしています。
武田勝頼は高天神城を遠江攻略の足掛かりとし、作戦行動の際に拠点として使用したことがわかっています。
1580年(天正8年)、徳川家康が5000騎で当城を包囲。翌1581年(天正9年)には兵糧攻めで孤立し士気が低下した武田軍が城を打って出て総攻撃を敢行し、敗北。当城は落城し、以降廃城となりました。

ちなみにこの時の高天神城の守備隊長は、旧今川氏家臣の岡部元信でした。
元信は今川義元敗死後も鳴海城に拠って織田軍を撃退し続け、主君の首と引き換えに開城したという猛将でした。70歳に近い高齢ながらも先陣を切って奮戦し、武田氏の将として散ったといいます。
1975年(昭和50年)には国史跡に指定、1998年(平成10年)からは本格的な発掘調査が開始されました。
2017年(平成29年)、日本100名城のひとつに選定されています。

浜松城の歴史・沿革

西暦(和暦) 出来事
913年(延喜13年) 修験者・藤原鶴翁が山頂に宮柱を建てる(伝承)
1180年(治承4年) 謂伊隼人直孝が鶴翁山に砦を構築(諸説あり)
1191年(建久2年) 土方次郎義政が鶴翁山に砦を構築(諸説あり)
1416年(応永23年) 今川了俊が鶴翁山に築城(諸説あり)
1418年(応永25年) 山内玄蕃正久通が城主に(諸説あり)
1446年(文安3年) 福島佐渡守基正が城主に(諸説あり)
1471年(文明3年) 福島上総介正成が城主に(諸説あり)
1536年(天文5年) 小笠原右京進春儀が高天神城に入城
1542年(天文11年) 小笠原弾正忠氏清が城主に
1560年(永禄3年) 城兵が桶狭間に出陣
1564年(永禄7年) 小笠原与八郎長忠が城主に
1568年(永禄11年) 小笠原長忠が徳川家康配下に
1569年(永禄12年) 城兵が掛川に出陣
1570年(元亀元年) 城兵が姉川に出陣
1571年(元亀2年) 武田信玄軍の攻撃を受けるも小笠原貞頼らが撃退(武田2万5千、城兵2千籠城)
1572年(元亀3年) 城兵が三方原に出陣
1573年(天正元年) 城兵が諏訪原に出陣
1574年(天正2年) 武田勝頼軍の攻撃を受け、小笠原長忠が降伏
1575年(天正3年) 長忠が在城衆に濫妨狼藉を禁じる
1577年(天正5年) 長忠が高天神城より移住した被官の諸役を免除
1578年(天正6年) 武田勝頼が高天神城を拠点に横須賀城の攻撃を試みる
1579年(天正7年) 武田勝頼が遠江攻略に際して高天神城を拠点にする
1580年(天正8年) 徳川家康が5000騎で高天神城を包囲
1581年(天正9年) 武田軍が城を出て総攻撃を行い敗北。高天神城は落城し、廃城に
1975年(昭和50年) 国指定史跡に
1998年(平成10年) 発掘調査開始
2017年(平成29年) 日本100名城に選定
このページに記載してある内容の大半は「戦国ヒストリー」編集部に寄稿していただきました。ありがとうございます!
   

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天地雷動 (角川文庫)

「長篠の合戦」を武田信玄の死から書き起こし克明に描く。勝頼は信玄の遺産である宿老たちを掌握できず苛立ち、家康は武田の圧力に対抗するため信長との同盟に神経をすり減らし、秀吉は信長の戦略を実現するために知恵を振り絞り奔走する。「鉄砲の三段撃ち」は武田軍が突撃してこなければ成り立たない。なぜ勝頼はそうしたのか、そこにいたる過程を様々な視点から描いていて見事だ。宮下帯刀ら戦の最前線に立つ地侍や足軽の戦いの様子も描かれている。また、長篠城、高天神城をはじめ数多くの城が登場し築城や攻城戦の様子が描かれている。

こめつぶさん)

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