新発田城
新発田城

[新潟県][越後] 新潟県新発田市大手町6


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.34(--位)
  • 見学時間:52分(--位)
  • 攻城人数:1504(106位)

新発田城のパンフレット

新発田市教育委員会文化行政課によって作成された新発田城の公式パンフレットです。

提供:新発田市教育委員会文化行政課
新発田藩
 初代藩主溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)は、尾張国(現愛知県)中島郡溝口村の出身で、慶長(けいちょう)3年(1598)に豊臣秀吉の命により6万石を与えられ、加賀国(現石川県)大聖寺から新発田に入封(にゅうほう)しました。溝口家は、越後で起きた上杉遺民一揆(いみんいっき)を平定し、慶長5年の関ヶ原の戦いでは徳川方に付いた外様(とざま)大名です。
 入封当時の藩領は、沼などの多い未開墾地でしたが、歴代藩主が河川改修や干拓などの治水と新田開発に努めた結果、美田の広がる蒲原平野(かんばらへいや)へと生まれ変わりました。
 また、8代藩主の直養(なおやす)は学問を好み、安永元年(1772)に越後で最初の藩校「講堂」(後に「道学堂(どうがくどう)」と改称)を設立し、同5年には全国で3番目の医学館を設立しています。
提供:新発田市教育委員会文化行政課

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また新発田市観光協会によって作成された新発田市の観光パンフレットもあります。

提供:新発田市観光協会
提供:新発田市観光協会

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「長篠の合戦」を武田信玄の死から書き起こし克明に描く。勝頼は信玄の遺産である宿老たちを掌握できず苛立ち、家康は武田の圧力に対抗するため信長との同盟に神経をすり減らし、秀吉は信長の戦略を実現するために知恵を振り絞り奔走する。「鉄砲の三段撃ち」は武田軍が突撃してこなければ成り立たない。なぜ勝頼はそうしたのか、そこにいたる過程を様々な視点から描いていて見事だ。宮下帯刀ら戦の最前線に立つ地侍や足軽の戦いの様子も描かれている。また、長篠城、高天神城をはじめ数多くの城が登場し築城や攻城戦の様子が描かれている。

こめつぶさん)

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