新発田市教育委員会文化行政課によって作成された新発田城の公式パンフレットです。
新発田藩
初代藩主溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)は、尾張国(現愛知県)中島郡溝口村の出身で、慶長(けいちょう)3年(1598)に豊臣秀吉の命により6万石を与えられ、加賀国(現石川県)大聖寺から新発田に入封(にゅうほう)しました。溝口家は、越後で起きた上杉遺民一揆(いみんいっき)を平定し、慶長5年の関ヶ原の戦いでは徳川方に付いた外様(とざま)大名です。
入封当時の藩領は、沼などの多い未開墾地でしたが、歴代藩主が河川改修や干拓などの治水と新田開発に努めた結果、美田の広がる蒲原平野(かんばらへいや)へと生まれ変わりました。
また、8代藩主の直養(なおやす)は学問を好み、安永元年(1772)に越後で最初の藩校「講堂」(後に「道学堂(どうがくどう)」と改称)を設立し、同5年には全国で3番目の医学館を設立しています。
また新発田市観光協会によって作成された新発田市の観光パンフレットもあります。