苗木城
苗木城

[岐阜県][美濃] 岐阜県中津川市苗木


  • 平均評価:★★★★☆ 4.16(7位)
  • 見学時間:1時間19分(35位)
  • 攻城人数:2122(74位)

天守台

苗木城はわずか1万石しかないのに天守を構えた珍しい城として有名です。
そのため多くの部分で自然石をそのまま利用しており、天守もふたつの巨石を土台にして、上にまたがるように建てられていました。

天守そのものは残されていませんが、天守台となった石はそのまま残されており、現在は展望台が建てられています。

提供:中津川市

柱の穴は当時のまま使用されています。

天守台跡に設置されている案内板の内容を紹介します。

苗木城天守建物
 苗木城の天守は二つの巨岩のまたがる形で作られ、三層となっていました。
 1階部分の名称は「天守縁下」、板縁を入れて4m×5m(2間×2間半)の広さで、岩の南西側隅にありました。
 2階は「玉蔵」と呼ばれ、岩が敷地を占め、建物の床面自体の大きさは6m×6m(三間四方)でした。ここには1階と3階に通じる階段が設けられていました。
 3階の「天守」は巨岩の上にあり、9m×11m(4間半×5間半)の大きさでした。
 この巨岩の上の柱と梁組みは、苗木城天守3階部分の床面を復元(想定)したもので、岩の柱穴は既存のものを利用いたしました。
 苗木城の天守3階部分を一部復元し、展望台として利用できます。

足軽長屋跡から見た天守台です。

提供:中津川市
   

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江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸

攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。

まーちゃんさん)

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