豊臣秀吉が聚楽第を築くまでの間、京都における政庁であり宿舎でもあった妙顕寺城の遺構はなにも残っていませんが、城の跡地にあたる西福寺の門の前に石碑が建っています。
石碑は堀川通から二条城を背にして、押小路通を200mほど入ったところにあります。
石碑には「豊臣秀吉妙顕寺城跡」とあります。
豊臣秀吉妙顕寺城跡
この付近は、豊臣秀吉の妙顕寺城の故地である。妙顕寺とは、鎌倉後期、日像がはじめて京都に建立した日蓮宗寺院であり、たびたび場所は移ったが、戦国時代にはこの地にあった。天正一一(一五八三)年九月、豊臣秀吉は寺を小川寺ノ内に移転させてあとに二条新邸を構築し、天正一四年聚楽第を造るまで、京都の政庁とした。建物の姿は詳しくはわからないが、周囲に堀をめぐらし、天主をあげていたという。したがって屋敷というより城と呼ぶにふさわしいといえよう。平素は前田玄以が居住して京都の政務にあたり、秀吉が上洛すると、ここが宿舎となった。豊臣秀吉が次第に天下を握ってゆく間の、重要な政治的拠点であった。現在、城跡はしのぶべくもないが、古城町という町名となって、よすがを伝えている。京都市