市内にある若宮八幡神社には膳所城本丸の犬走り門が移築されています。
祭神は仁徳天皇です。この神社は1184年(寿永3年)に源頼朝と木曽義仲が戦った「粟津の合戦」の際に焼失したこともあります(頼朝により再興)。江戸時代には周辺にあるほかの神社と同様、藩主・本多家に庇護されました。
- 一.御祭神
- 主神 仁徳大神
- 一.例祭日
- 五月三日 放生会祭 九月十五日
- 一.由緒
- 当神社は壬申の乱(六七二)があって三年後の白鳳四年(六七五)に天武天皇が、宇佐八幡の御神託「近江の湖水の辺り粟津に、わが子人徳を祀り崇敬すべし」により、ここに当神社社殿を造営されることになりこの浦(湖辺)上下八丁(約八百米)での殺生を禁じられ、以後漁夫は恐れてここを特別の浦(別浦)と云い、のちに別保と呼び、現在もこの地域の地名として残り翌年(六七六)八月(九月)十五日放生会が行はれました。
当神社の社殿等が完成したのは、四年後の白鳳八年(六七九)で九州の宇佐八幡宮の次に古い八幡宮で当初は粟津の森八幡宮、のちに若宮八幡宮となり、明治から若宮八幡神社となりました。
ところで当神社の社殿等は延喜十七年(九一七)雷のために全焼。その後、寿永三年(一一八四)源頼朝と木曽義仲の粟津の合戦でまたも全焼。勝った源頼朝が社殿等を再建。更にこの社殿等も、応仁の乱(一四六七)の兵火で焼失しました。
しかしその後、立派に復興され、膳所城の築城後は歴代城主、本田公が寄進し、社殿を始め境内建物の修繕等を行ってこられました。
境内には皇大神宮を始め沢山の摂社・未社が奉祀されておりますが、これは当神社の歴史が古く、この間に多数の氏子が奉仕崇敬され、極めて霊験あらたかな氏神さまであることを示しています。
この表門は膳所城の城門を移築したものです。
大津市指定文化財建造物若宮八幡神社表門 一棟
この表門は、膳所城の犬走り門で明治三年(一八七〇)の膳所城取り壊しの際に移築されました。大棟の背面に切妻造(きりづまづくり)の両袖の屋根を突き出した高麗門(こうらいもん)で、正面向かって右側に脇門を設けています。門の規模は普通ですが、各部材の木割りも大きく堂々とした建物です。屋根は本瓦葺で、大棟(おおむね)の両端に鯱(しゃち)と鬼瓦をあげ、軒丸瓦には旧膳所城本多氏の立葵紋()がみられます。
後世の補修はかなりみられますが、膳所城の数少ない建物であるとともに、江戸時代初期の城門建築として貴重なものです。
昭和五三年(一九七八)二月に市の指定文化財となりました。 平成五年(一九九三)三月 大津市教育委員会 Cultural Asset Designated by Otsu City (Building)
Wakamiya Hatiman Jinja Omotemon gate
内側から見た表門です。
若宮八幡神社の観光情報
住所 | 滋賀県大津市杉浦町20-20 |
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