蛙ヶ鼻は羽柴秀吉が備中高松城を水攻めする際に築いた堤防で、その一部が現存しています。
築堤奉行には蜂須賀正勝が任命されました。
国指定史跡蛙が鼻築堤跡(かわずがはなちくていあと)
昭和4年12月27日指定
天正十年(1582)に羽柴秀吉(はしばひでよし)は備中高松城を攻めたが、城は典型的な沼城(ぬまじろ)で地の利を生かして守りが固いことから、容易に落城させることはできなかった。そのため、地の利を逆用しての攻撃が「水攻(みずぜ)め」であった。
周囲が沼や湿田(しつでん)に囲まれている高松城は浅い盆地状の地形の中心に位置しており、そのただひとつの水の出口がこの蛙が鼻付近でアリ、築堤工事のもっとも重要な地点である。
水攻めの築堤は、基底部幅約24m、上幅約10mで高さ7~8mであったとされるが、明治36年の鉄道工事に際して築堤の土砂の大半が持ち去られてしまい、この「蛙が鼻築堤跡」のみがかろうじて残されたと伝えられ、現在でもここから国道180号線付近までが最も良好に築堤の痕跡が残されている。 岡山市教育委員会
現在、周囲が「高松城水攻め史跡公園」として整備され、トイレや駐車場も用意されています。