浅間山北麓ジオパーク
鎌原大笹エリアE-8
鎌原城址
室町時代からの乱世の時代、ここに城が築かれました。鎌原城をめぐり、この地に生きた人々の間にどんなできごとがあったのでしょうか。
大地の活動
鎌原城は、浅間火山の噴出した大規模な火砕流堆積物の上に造られました。城の西側の高い崖は、吾妻川右岸に何kmも続いています。この火砕流は、浅間崋山の形成史上最大規模の噴出物とされています。軽石を多く含むため、浅間軽石流と呼ばれます。
人々の暮らし
城は、自然の地形をたくみに利用して造られました。吾妻川対岸の西方高台には西窪城、さらに北方の沢を隔てた700m先には鎌原城の出城、金毘羅山の砦がありました。戦国時代、生死をかけた自衛のため戦いや、乱世を生き抜くための人々の知恵がしのばれます。
日本ロマンチック街道の嬬恋郷土資料館付近にある鎌原観音堂前バス停のところの脇道(西側)に入り少し進むとここに出ます。舗装された道路が城跡まで続いています。三の丸に駐車場があります。 なお、公共交通機関で来る場合は、万座・鹿沢口駅から軽井沢行きバスに乗り鎌原観音堂前バス停で下車し、ここまで歩くか、その少し手前を右折してもよいです(未舗装道路を少し通ります)。
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