1656年(明暦2年)に、当時の掛川城主だった北条氏重が、嫡子がなかったこともありお家存続を計って、掛川古城本丸跡に3代将軍・徳川家光の位牌を祀る「天王山龍華院・大猷院殿霊廟(てんのうざんりゅうげいんだいゆういんでんれいびょう)」を建立しています。
1818年(文化15年)3月に起きた火災により廟は消失しましたが、位牌と厨子は無事だったため、1822年(文政5年)に城主・太田資始の手で再建されました。
現在の廟所は瓦葺きですが、再建時は柿葺きだったそうです。
1954年(昭和29年)1月30日、春日厨子を含め静岡県指定有形文化財に指定されています。
龍華院大猷院霊屋(りゅうげいんたいゆういんおたまや)
宝形造(ほうぎょうづくり) 桁行三間(五・五m)梁間三間(五・五m)
この霊屋は、明暦二年(一六五六)掛川藩主北条氏重が幕府に願い出て、徳川三代将軍家光(諡号大猷院)の霊牌を祀るために建てたものである。
当時の建物は、文化十五年(一八一八)三月火災により失われ、文政五年(一八二二)当時の藩主太田資始(すけもと)により再建された。現在屋根は瓦葺であるが、再建時は柿葺(こけらぶき)であった。内部には春日厨子があり、霊牌を祀る。昭和二十九年(一九五四)一月三十日、春日厨子を含め、静岡県文化財に指定された。
霊屋は嗣子のない氏重が断絶の打開策として建立したといわれるが、万治元年(一六五八)十月氏重の死去に伴い、家は断絶、領地は没収となった。
霊屋が建つ地には、戦国時代の明応六年(一四九七)から文亀元年(一五〇一)ごろ駿河の守護大名今川氏親が遠江支配の拠点として重臣朝比奈泰熙(やすひろ)に命じて築かせた掛川古城の本曲輪があった。 掛川市