こんにちわ、さきと申します。私は30年前にゲーム『信長の野望 全国版』をきっかけに戦国時代に興味を持って以降、戦国時代の歴史を調べつつ近畿地方の史跡を巡っています。近年はもっぱら城跡巡りばかりとなり、出身地である滋賀県にあるすべての城跡に行くことを生涯のテーマに掲げ、月20〜30ヶ所ほどの城跡に訪れています。
さて、滋賀県には1300の城があったとされます。この数は全国の都道府県でも屈指のものであり、数多くの城が眠る滋賀県は城とともに歴史を紡いできたといえます。
このたびは、その中から県庁所在地である「古都・大津」の歴史を紡ぐ城を紹介したいと思います。
1571年(元亀2年)、比叡山延暦寺攻めを進める織田信長の命で築城された城です。延暦寺焼き討ちの後に明智光秀の居城となり、その豪壮華麗さは安土城と並び称されるほどのものだったとされます。光秀が「山崎の戦い」で敗れた後は羽柴秀吉による近江支配の拠点となり、丹羽長秀や浅野長吉らが城主を務めています。
坂本城は本丸が琵琶湖に突き出た水城です。現在の坂本城は本丸跡が企業の敷地となり、二の丸・三の丸も住宅地となって城は完全に消滅しています。一見なにも残っていない城のように思えますが、実は二の丸を囲んでいた堀の形がそのまま道路に姿を変え、街の中に城の形を残しているのです。特に堀の西辺は京から北陸地方に続く西近江路の一部として利用され、「大道」の地名が残ります。道沿いに城址碑も建っていますので、かつての堀跡を歩いてみてください。また、大津市内の2ヶ所の寺院(聖衆来迎寺、西教寺)に城門が移築現存します。延暦寺の門前町としての雰囲気が残る坂本の街には、今も坂本城の名残が刻まれています。
1586年(天正14年)、琵琶湖の東西の街道が合流する位置に大津城が築かれたことで坂本城は役目を失い、廃城となりました。
1586年(天正14年)、坂本城に代わる城として豊臣秀吉の命で築城されました。大津城は琵琶湖の東を通る中山道と西を通る北国街道が合流し、京都に通じる街道が集約する位置にあります。1595年(文禄4年)に京極高次が城主となり、「関ヶ原の戦い」では京から関ヶ原に向かう西軍1万5千を足止めしたことは有名です。
大津城も本丸が琵琶湖に突き出た水城です。坂本城と同じく市街地となって城は完全に消滅しています。ところで、城といえば周囲よりも高い位置に建っているイメージがあると思います。しかし、大津城は琵琶湖畔であることを差し引いても、かなり低い土地に建っているのです。これは京からみて琵琶湖に船を出すために適した位置だったからと思われますが、この「土地の低さ」のために「関ヶ原の戦い」では周辺の山から大砲を撃ち下ろされる結果となりました。京阪電車で三条駅から浜大津駅に向かってみるとそれがはっきりと体感できますので、是非、当時と同じく逢坂の関を越えて大津城に訪れてください。
1600年(慶長5年)、城主の京極高次は「関ヶ原の戦い」での功績で若狭に転封となり、大津城はそのまま廃城となりました。大津城の建物は解体されて彦根城や膳所城に移築され、特に天守は彦根城天守の建築に使われたことで国宝・彦根城に受け継がれます。
「関ヶ原の戦い」後の1601年(慶長6年)、天下普請の第一号として徳川家康の命で築城された城です。江戸時代を通して膳所藩の藩庁として機能し、多くの譜代大名が城主を務めました。1651年(慶安4年)からは本多氏が13代220年に渡って居城としており、そのまま明治維新を迎えます。
膳所城もまた城の大部分が琵琶湖に突き出た水城です。大津城よりもかなり南にありますが、これは中山道を使った陸路の発達と大津城の弱点だった山が近くにないことが理由と思われます。現在の膳所城は本丸跡が膳所城跡公園として親しまれ、二の丸跡は膳所浄水場の敷地となっています。現在に残る本丸跡は1662年(寛文元年)の大地震後に当時の本丸と二の丸を繋げて造られたものとされます。
膳所城は1870年(明治2年)の廃城の後に多くの城門が移築されました。滋賀県内では膳所神社・篠津神社・鞭崎神社・若宮八幡神社・御霊神社・近津尾神社・新宮神社に移築門が現存します。また、街の中には膳所城の主要な門があった場所に石碑が建てられ、城の形を現在に伝えています。実は、膳所城は北端の大津口総門から南端の瀬田口総門まで2kmにおよぶ大きな城です。駅でいえば京阪電車の京阪膳所駅から瓦ヶ浜駅まで、気候のよい時期に端から端まで歩いてみては如何でしょうか。そこには、想像以上に城の痕跡があるはずです。
坂本城・大津城・膳所城と、大津の歴史を紡いできた城を紹介させていただきました。私はこの3城を「時代を受け継いだ城」と表現します。同じ土地にありながら共存することはなく、時代とともに変わるその土地の役目を受け継いでいった城という意味です。奇しくも織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という天下の三傑とそれぞれ密接に関わる3城が受け継いだ歴史こそが、大津という土地の歴史であると、そのように思います。
と、難しいことを述べてしまいましたが、大津に来られた際には城址碑を見た後に、ひとつだけでも城の痕跡を見つけていただける一助になれば幸いです。
toproadさんが城がたり「よくわかる小牧山城」を企画してくれました。愛知県小牧市と調整してくださり、学芸員の方にZoomで話していただけることになりました。小牧山城の歴史、発掘調査の成果など、いろんな話が聞けると思いますのでぜひご参加ください。
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