とも

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ダイエットと共に攻城。痩せると動きが軽くなるもんですなー。常時、5~10Kの米袋を担いでいたのと同じなので当たり前ではありますが。
山内上杉の本拠地群馬での攻城戦も山際まで来ました。小田原から電車で3時間以上掛かるレベルになって来ました。中小の領主を傘下におさめたからできる領土ですが、当主はここまで来たことは流石にないだろうと思いながら攻城しています。

ともさんのタイムライン

とも

ともさん が  高野瀬城(滋賀県豊郷町) の写真をアップしました(2024-05-24)

城址碑
城址碑

バス停のところにも城址碑がありました

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ともさん が  肥田城(滋賀県彦根市) の写真をアップしました(2024-05-24)

土塁と堀跡
土塁と堀跡

ほぼ、畑が広がっていて、遺構はこの土塁と堀跡だけのようです

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ともさん が  肥田城(滋賀県彦根市) の写真をアップしました(2024-05-24)

城址碑
城址碑

右手のビニールハウスの背後は土手になっていて川が流れています。遺構は少し離れたところに土塁と堀跡を見ることができます

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ともさん が  玄蕃尾城(滋賀県長浜市) の写真をアップしました(2024-05-22)

搦手虎口
搦手虎口

奥に広がる大きな郭が北の虎口郭となります

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ともさん が  玄蕃尾城(滋賀県長浜市) の写真をアップしました(2024-05-22)

北虎口郭北側の横堀
北虎口郭北側の横堀

この空堀は搦手虎口の土橋から続いています

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ともさん が  玄蕃尾城(滋賀県長浜市) の写真をアップしました(2024-05-22)

主郭南虎口の土橋
主郭南虎口の土橋

写真中央の二股に分かれた木の背後に主郭の南虎口があり、碑の立っている箇所が南の馬出になります。多くの郭は土橋により接続される上段の郭群と空堀/堀切につながる郭群で構成されています

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ともさん が  玄蕃尾城(滋賀県長浜市) の写真をアップしました(2024-05-22)

東虎口
東虎口

写真右正面は主郭の南馬出の土塁、その手前は横堀となっています。
左側に見える碑のところが南攻撃虎口郭の東虎口となります。ここにはL字の土塁が存在し、土橋を構成して写真を撮っている南側の腰曲輪とつながっています

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ともさん が  玄蕃尾城(滋賀県長浜市) の写真をアップしました(2024-05-22)

主郭西側の空堀
主郭西側の空堀

写真右手の切岸の向こう側に主郭があります。正面の平削地は主郭西の腰曲輪になります

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ともさん が  玄蕃尾城(滋賀県長浜市) の写真をアップしました(2024-05-22)

南攻撃虎口郭
南攻撃虎口郭

土塁に囲まれている曲輪が南攻撃虎口郭と呼ばれている部分になります。この写真は主郭西側の腰曲輪から見ています。土橋と土塁を経由して主郭西側の腰曲輪にアクセスするようになっています

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ともさん が  玄蕃尾城(滋賀県長浜市) の写真をアップしました(2024-05-22)

南防御虎口郭
南防御虎口郭

写真手前の横堀が南防御虎口郭北側の横堀、中央奥に向かって南防御虎口郭とその西側の横堀が伸びています。南攻撃虎口郭南側の土塁から見ています

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ともさん が  百済寺城(滋賀県東近江市) の写真をアップしました(2024-05-22)

参道
参道

良い雰囲気ですね。

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ともさん が  百済寺城(滋賀県東近江市) の写真をアップしました(2024-05-20)

苔むす参道
苔むす参道
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ともさん が  百済寺城(滋賀県東近江市) の写真をアップしました(2024-05-20)

本坊の石垣
本坊の石垣

藤の花を見ることができる本坊の石垣

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ともさん が  百済寺城(滋賀県東近江市) の写真をアップしました(2024-05-20)

横堀
横堀

この横堀は赤門のところで見ることができます

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ともさん が  百済寺城(滋賀県東近江市) の写真をアップしました(2024-05-20)

赤門
赤門
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ともさん が  下坂氏館(滋賀県長浜市) の写真をアップしました(2024-05-20)

不断光院
不断光院

不断光院は浄土宗のお寺ですが、下坂氏だけの菩提寺だったそうで、ほかのうちの墓石は全くありません。徳川家の増上寺と同じかと思うと、なんとも不思議な家系だと思いました。秀吉の嫌がらせがなかったことが不思議でなりません。なお、このお寺も含めて県に寄贈してしまったため、現在の御当主はこのお寺に墓地に葬られることはないそうです。

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ともさん が  下坂氏館(滋賀県長浜市) の写真をアップしました(2024-05-20)

北土塁
北土塁

雑草が多くてわかりにくいですが、真ん中の木より左側は一段高くなっていて、副郭、武者だまりとして使われていたそうです。浅井家に仕えていて、帰農した一族がこんな防御システムを維持した場所に住んでいて、秀吉が潰さなかったのがよくわからない話です

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ともさん が  下坂氏館(滋賀県長浜市) の写真をアップしました(2024-05-20)

北東の土塁
北東の土塁

土塁の外側は水堀(小川)となっており、写真の右側には副郭がありました

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ともさん が  下坂氏館(滋賀県長浜市) の写真をアップしました(2024-05-20)

虎口
虎口

虎口の奥は水堀(今は小川)となっており、その先が副郭があった模様です

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ともさん が  下坂氏館(滋賀県長浜市) の写真をアップしました(2024-05-20)

主屋
主屋

下坂家は武家から帰農し、その後医者となった家系で、左の雨戸が閉まっている箇所は診察室であった場所として残っており、説明を聞くことができます

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今日のレビュー

平安京の四〇〇年:王朝社会の光と陰

10月の定期ライブで榎本先生が推薦され、かつ来年の大河ドラマが平安時代が舞台と言うことで、予習のつもりで手に取りました。はっきり言って平安時代に関する知識はあまり有りませんでしたが、この著書には桓武天皇が都を平安京に移してから、摂関政治、院政、そして武士の時代までの約400年の貴族の権力闘争や平安京に住む人びとの営みを知る事が出来ました。特に関心を持ったのは平安京のトイレ事情で、汚い話もあり詳細は割愛しますが、テレビや映画ではなかなかお目にかかれない事なので興味深く読ませて頂きました。来年の大河まで時間はそう有りませんが、その前に是非読んでおく一冊だと思います。

まーちゃんさん)

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