のり

のり(のり)さん 家老 サポーター   フォロー

兵庫県丹波市在住。
御城印がきっかけで攻城団に出会いました。城を巡っていくうちに御城印だけでなく、城の遺構や歴史に興味を持つようになり、後に訪問する団員さんたちに少しでも情報提供できるように、攻城記録やアップした写真に必ずコメントするように心がけています。

のりさんのタイムライン

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のりさん が  府内城(大分県大分市) の写真をアップしました(2024-05-01)

天守台石垣
天守台石垣

野面積みに、隅部は長辺と短辺が交互に積まれる算木積みとなっています。

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のりさん がコレクション「 岡城 御城印 」にコメントしました(2024-05-01)

駐車場より撮影。奥に見える建物(岡城料金徴収所)で購入できます。

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のりさん の読者投稿欄「家族旅行で訪問するのにオススメのお城を教えてください 」への回答が更新されました(2024-04-30)

家族で下呂温泉に旅行へ行った時に、岐阜県の城をいくつか巡ったのですが、家族に一番好評だったのが苗木城でした。紅葉のシーズンに行ったのですが、山城なのに公園のようになっていて歩きやすく、紅葉狩りをするにはうってつけの城だと思いました。外国人観光客の方も来られてて「ビューティフル!」と言っていました。天守跡に設けられた展望台からの眺望も素晴らしく、巨石を利用した石垣も珍しいので、秋の行楽シーズンに岐阜県ヘ旅行に行かれる際は候補にされても良いかと思います。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-30)

御廟所跡
御廟所跡

歴代藩主の位牌が祀られたところで、儒教の教えに基づき造られたそうです。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-30)

下原門跡
下原門跡

岡城の東端にある門跡で、中川秀成が入城するまでは岡城の大手門でしたが、中川秀成が城の改修に着手した際に搦手口になったそうです。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-30)

清水門跡
清水門跡

藩主が稲葉川のほとりの休憩所に向かうために設けられたそうです。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-30)

東中仕切跡
東中仕切跡

岡城東側の防御の要で、西中仕切と同様に食い違い虎口となっており、かつては棟門のような単層の門があったそうです。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-30)

本丸からの眺望
本丸からの眺望

本丸より国道502号線を望む。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-30)

岡城天満神社
岡城天満神社

文禄2年(1593)、中川秀成が岡城に入城した時に城内東側にあった天神祠を移転建立したもので、中川歴代藩主が守り神として崇拝してきた神社だそうです。

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のりさん が  岸和田城(大阪府岸和田市) を攻城しました(2024-04-29)

岸和田市役所第4駐車場もしくはGSパーク五風荘駐車場が最寄りの駐車場です。電車の場合は、南海本線「蛸地蔵駅」が最寄りの駅です。街中にある平城なので、見学しやすく、八陣の庭や周囲の水堀が素晴らしかったです。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-29)

本丸跡
本丸跡

岡城中心部の最も重要な曲輪であり、中央部には藩主の住まいとなる本丸御殿が建てられていたそうです。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-29)

月見櫓跡
月見櫓跡

二の丸の北端に位置しており、ほぼ方形の二階櫓で、上階に廻縁が巡り、屋根は檜皮葺、四方の隅棟が屋根中央に集まり頂部に露盤と宝珠が載る宝形造だったそうです。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-29)

滝廉太郎像
滝廉太郎像

この銅像は少年時代に廉太郎と同じ学校に通っていた彫刻家の朝倉文夫により、昭和25年(1950)に作られました。廉太郎は岡城をモチーフに名曲「荒城の月」を作曲したといわれています。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-29)

二の丸跡
二の丸跡

当時は月見櫓や御風呂屋など特徴的な機能を持つ建物が並んでおり、来客の歓迎や藩主の愉しみの空間として利用されたそうです。現在は来城者のための休憩所が設けられています。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-29)

空井戸跡
空井戸跡

二の丸入口付近にあります。当初から水は無く、抜け道だったり財宝の隠し場所だったという伝説が残っています。江戸時代には深さが60mほどあったそうです。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-29)

御門櫓跡
御門櫓跡

本丸への出入口となる石段は、二の丸に面した北面に設けられています。かつては石段の上に御門櫓があったそうで、現在でも礎石が残っています。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-29)

本丸西面石垣
本丸西面石垣

三の丸より撮影。南西隅(右側)に天守台用の御三階櫓、北西隅(左側)に小三階櫓が建てられていたそうです。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-28)

三の丸跡
三の丸跡

三の丸の中央には御殿が設けられ、他藩の使者や家臣が藩主と対面する場所として使われていたそうです。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-28)

御三階櫓台石垣
御三階櫓台石垣

明和6年~8年(1769~1771)頃に風雨と地震により倒壊したものを、安栄3年(1774)に積み直されており、隅部は算木積みになっています。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-28)

太鼓櫓門跡
太鼓櫓門跡

西中仕切の先にあります。かつてはこの石垣の上に渡櫓門が建っていたそうです。

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今日のレビュー

凸凹地図で読み解く 日本の城 ~この地にこの城を建てた理由(ルビ:わけ) (ビジュアルはてなマップ)

ブラタモリ好きにはたまらない一冊である。見やすい陰影段彩地図で地形、高低差が一目瞭然である。特に見て楽しいのは平山城。
 平山城の定義通りではあるが、緑色の平地に浮かぶ茶色の高地が、すべて城域なのか、城の外にもつながっているのかがよくわかる。
 それぞれに「地図職人の眼」という400字程の文章で、そこが台地、段丘、あるいは地山か、また、その岩質や地形の成立過程まで解説されている。中でも小諸城の解説では長年の疑問が氷解した。

幸丸さん)

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