のり

のり(のり)さん サポーター   フォロー

兵庫県丹波市在住。
御城印がきっかけで攻城団に出会いました。城を巡っていくうちに御城印だけでなく、城の遺構や歴史に興味を持つようになり、後に訪問する団員さんたちに少しでも情報提供できるように、攻城記録やアップした写真に必ずコメントするように心がけています。

のりさんのタイムライン

のり

のりさん が最近のひとことを更新しました(2026-03-11)

私の今年の攻城目標として、大河ドラマの「豊臣兄弟」に因んで豊臣秀吉公のバッジを獲得しようと未攻城の城を調べていると名護屋城と横山城がまだだったので、今回は横山城のある滋賀県に行ってきました。ただ滋賀県まで来て横山城だけというのも面白くないと思ったので、以前団員さんがアドベントカレンダーで紹介していたり、私の持っている電子書籍「死ぬまでに攻めたい戦う山城50」にも掲載されている男鬼入谷城、団員さんからの情報で3月いっぱいで御城印が入手できなくなる虎御前山城にも行ってきました。
3城のアクセスなどを調べていると、横山城と虎御前山城は簡単に行けそうでしたが、男鬼入谷城は山奥の秘境にある城で、道中にある比婆神社も参拝困難な神社として有名との事でしたので、どうやって行くか色々考えました。
私がとった方法ですが、私の車はミニバンなので男鬼峠までは行けるのですが、県道17号の狭い道には入って行けず、距離も男鬼集落にある比婆神社の入り口まで約2㎞、神社の入り口から社殿まで約2~3㎞の坂道、そこから更に登山という事でしたので、私は基本的に現地まで車で行ってそこからは健康維持のために徒歩だけで攻城するのですが、今回ばかりは車にクロスバイク(自転車)を積んで、男鬼峠の駐車スペースから比婆神社の社殿の近くにある駐車場までクロスバイクで行きました。県道17号と比婆神社の参道は小石や木の枝、苔があり、クロスバイクでもなかなか難儀しましたが、徒歩よりは楽に早く着いたんじゃないかと思います。
軽自動車やバイクを持ってらっしゃる方はそこまで悩まなくてもいいと思いますが、公共交通機関で行く場合は、最寄り駅が近江鉄道鳥居本駅ということで、そこから徒歩だと比婆神社の社殿まで片道約13㎞ほど歩きますので、かなり大変なんじゃないかと思います。ですので団員さん全員にお勧めできるわけではありませんが、「輪行」という手段があります。私のクロスバイクは車にそのまま積めるので折りたためないのですが、折りたたみ式のクロスバイクもあって「輪行袋」という専用の袋に折りたたんで入れておくと、手荷物扱いとなって無料で電車やバスに持ち込むことが出来ます。クロスバイクではなく他の折りたたみ式自転車ではだめというわけではありませんが、クロスバイクはギアを軽くすれば坂道に強く逆に重くすれば速度もでます。そしてタイヤもパンクしにくいのと、価格も3万円くらいであります。(折りたたみ式の電動アシストが一番楽だけど価格が10万を超え、ロードバイクと同様に高額な自転車はよく盗難に遭います。)
ただ注意点があって、荷物は軽いのですが、かさばるので他の乗客の迷惑にならないようにマナーを守ることと、新幹線の場合はなるべく車両の最後尾を指定席で予約して(自由席の最後尾でもいいです)座席の後ろに置いたりと鉄道会社やバス会社、航空会社によってルールがあります。
うまく輪行を活用できれば、こういった秘境の城跡に行けるだけでなく、機動力が手に入り城下町の散策等で狭い道にも入って行けますし、登城口までの移動も楽で、自前の自転車だとレンタサイクルの事も考える必要がなくなりますので、興味のある団員さんは検討してもいいんじゃないかと思います。ちなみに折りたためば軽自動車でも積んで行けますので、軽自動車を持っておられる方にもお勧めです。
写真は男鬼入谷城から比婆神社に戻る途中に霧氷が出来てましたので、撮影しました。青空ならもっと綺麗だったと思いますが、こういった絶景を見られるのも冬山の醍醐味ですね。

のり

のりさん が  大聖寺山城(兵庫県上郡町)の城活ノートを更新しました(2026-01-03)

大聖寺山城は兵庫県の上郡町にある標高258mの大聖寺山の山頂に築かれています。
団員さんの訪問ガイドを参考に岩木公民館より登城口まで歩いて、そこから鳳張峠まで登って、そこから上郡アルプス縦走路を歩いて鳳凰山を越えていくので、結構な距離がありました。実はこの縦走路は生駒山とも繋がっていて、駒山城から大聖寺山城へ直接行くことも出来ます。しかし時間と体力の消耗が激しいので、城跡を見るだけでしたら、鳳張峠から登って行ったほうが良いと思います。
城跡に到着すると、写真の大堀切が出迎えてくれて、この瞬間に疲れが吹き飛びました。
他にも石垣や畝状竪堀と見どころが満載で、団員さんたちの平均評価が高いのにも頷けました。
個人的には、時間と体力を使ってでも行った価値があった城跡でしたので、体力に自信のある団員さんは是非行ってみてください。

大聖寺山城の城活ノート一覧
のり

のりさん が  駒山城(兵庫県上郡町)の城活ノートを更新しました(2026-01-02)

駒山城は兵庫県の上郡町にある標高263mの生駒山の山頂にあり、赤松氏が白旗城の入り口部を固める出城として築城したそうです。
初日の出を見るために行ったので、まだ周囲は真っ暗な時間帯でしたが、すでに登城口にはたくさんの人や車が停まっていて、コープこうべも営業時間外で駐車できないので困っていたのですが、地元の案内の方がいらっしゃって「ここに停めたらいいよ」と声をかけてくださり助かりました。
また地元の案内の方から、初日の出は馬の蹄跡から見ると綺麗ですよとアドバイスをいただいたので、馬の蹄跡から初日の出を見ました。
その後本丸に向かい、城址を見て回りましたが、石垣や空堀と見どころが多かったので、興味を持たれた方は是非行ってみてください。
途中の岩場は険しいですが、写真のように岩場に矢印がありますので、どうやって登るかわからなくなったら、探されると良いと思います。

駒山城の城活ノート一覧
のり

のりさん が最近のひとことを更新しました(2026-01-01)

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
去年は巳年でしたので、元旦に干支登山で私の家の裏山にある蛇山の岩尾城へ初日の出を見に行ったのですが、今年は午年という事で、なるべく近場で馬の名が付いた山で、なおかつ城がある場所を探しても、なかなか見つからなかったのですが、調べていると馬偏(うまへん)の漢字でもOKという事でしたので、改めて探してみると、生駒山にある駒山城がヒットしました。場所を見てみると上郡町でまさかの西播磨の山城でした(驚)。
日の出前から登ったのですが、初日の出を見に登っていらっしゃる方が、私以外にも30人ほどいらっしゃったので、みんな考えることは同じなんだなと思いました。(笑)
写真は駒山城の馬の蹄跡から見た初日の出です。

のり

のりさん が最近のひとことを更新しました(2025-12-30)

前回、中播磨の恒屋城と春日山城に行った帰りに市川町観光協会で鶴居城、谷城、川辺城、瀬加山城の4城の御城印を買ったのですが、まだ現地へは行っていなかったので、2025年最後の攻城納めとして今回は市川町の西側にある鶴居城と谷城に行ってきました。
市川町の山城は今回初めて行ったのですが、2城ともしっかりと整備されていましたので、西播磨の山城と同様に地元の方がかなり力を入れていらっしゃる印象を受けました。この感じですと東側にある川辺城と瀬加山城も期待できるんじゃないかと思いました。こちらの2城は瀬加山城が春になると城址全体が桜とツツジで満開になるそうですので、春ぐらいに攻城しようと考えています。(我慢できなくて冬の間に行ってしまうかもしれませんが・・・(笑))
写真は谷城の見どころである3重堀切の2本目と3本目の写真ですが、攻城団では未登録の城ですので、他の団員さんにも興味を持っていただけるように暫定登録の手続きをしたいと思っております。

のり

のりさん が  鶴居城(兵庫県市川町)の城活ノートを更新しました(2025-12-30)

鶴居城は標高433mの稲荷山の山頂に築かれていています。
団員さんの訪問ガイドを参考に墓地の駐車場より攻城しました。案内板があるので、迷うことはないと思います。
登城口から100m地点までは比較的なだらかですが、それ以降は主郭に近づくにつれて、トラロープや鎖が設置されている急な登城路に変貌したので、結構疲れました。(汗)
しかし主郭からの眺望が素晴らしく、石積や堀切が良好な状態で残っていましたので、疲れが一気に吹き飛びました。
写真は登城口から400m地点(頂上まで600m)の休憩スペースで、この先も険しくなっていきますので、ここで一旦休憩される事をおすすめします。

鶴居城の城活ノート一覧
のり

のりさん が最近のひとことを更新しました(2025-12-22)

私は最近、山城と言いますか城自体に全然行っていないせいか運動不足気味だと思っていまして、前回のひとことで古代山城についてコメントしたのですが、いきなり古代山城に行っても体力が持つかどうか心配になりましたので、いくつか山城に行って体が慣れてから挑戦してみようと思いました。
それで以前に置塩城まつりの現地見学会に参加した際に、ガイドさんから置塩城と同じ中播磨にある恒屋城という登りやすくてイチオシの城跡があると話を聞いていたので、今回行ってきました。
登城口から20分ほどで前城にたどり着いたのですが、体力不足だったせいか、あれだけ整備されて登りやすかったにもかかわらず、久しぶりに息切れを起こしてしまいました。(汗)しかし置塩城のガイドさんのイチオシの城だけあって、遺構が素晴らしく行った甲斐がありました。
恒屋城を攻城して思ったのですが、今まで私は播磨と言っても西播磨を中心に巡っていたため、中播磨の山城には全然行っていないことに気付き、家に帰るついでに福崎町にある春日山城も攻城しました。春日山城も整備されて登りやすく、眺望も素晴らしかったです。
あと市川町にも4ヶ所山城(内3ヶ所は攻城団未登録)があるのですが、御城印とパンフレットは入手したので、後日そちらにも行ってみたいと思っています。

のり

のりさん が  恒屋城(兵庫県姫路市)の城活ノートを更新しました(2025-12-22)

恒屋城は兵庫県姫路市香寺町にある山城で、南側の標高200mにある前城と、北側にある標高236mの後城で構成されています。
車で恒屋城駐車場に向かったのですが、駐車場の入り口が普通車ぎりぎりの幅で狭かったですので、車で行かれる方は気を付けてください。
御城印も欲しかったので、登城口の掲示板にあった恒屋城保存顕彰会の橋本会長に連絡し、御城印を売って頂いた際にパンフレットも一緒に頂けました。
橋本会長に今から恒屋城に行くと伝えると、初日の出を見に行く方が多いので、昨日30人で整備したばかりだと仰って、ラッキーでした。
他の団員さんもコメントされていますが、畝状竪堀や横堀が見どころのお城で、土の城が好きな方にはたまらないと思いますので、興味のある方は是非行ってみてください。

恒屋城の城活ノート一覧
のり

のりさん が最近のひとことを更新しました(2025-12-05)

最近、団員さんのブログやひとことを拝見させて頂いていますと、古代山城についての話題がありましたので、私も興味を抱くようになりまして、古代山城は全部で何ヵ所ほどあるのか、少し調べてみました。
画像は古代山城研究会のホームページに掲載されている古代山城の地図と一覧ですが、アルファベットで掲載されているのは日本書紀や続日本紀に記録が残り、朝鮮由来の技術で飛鳥時代に築かれた城で「朝鮮式山城」と呼ばれていて(Gの長門城、Hの常城、Iの茨城の3城は所在不明で遺構が見つかっていない、Jの怡土城は中国式山城)、数字で掲載されているのは公式記録に一切残っていない無名の城で「神籠石系山城」と呼ばれていて、今後も増えていく可能性があるそうです。
この2つの分類名は研究の便宜で名付けられた学術用語で、現在では両者に構造上の違いはないとするのが通説になっていて、どちらも飛鳥時代に朝鮮式の技術で築城されたものと考えられているそうです。
こうやって地図と一覧を見てみますと、遺跡が判明していて、攻城団未登録の阿志岐山城(国史跡ですが、現在立入禁止)、同じく未登録で最近見つかった唐原山城、長者山城の2城を含めた実際に攻城出来そうな古代山城だけでも23ヵ所あることがわかり、全部巡ろうと思ったら相当大変なんじゃないかと思いました。
私は朝鮮式山城の6ヵ所と中国式山城の怡土城のほうは全然行っていなくて、神籠石系山城の播磨城山城と鬼ノ城の2ヶ所しか行っていないので、全部巡れるかわかりませんが、やりがいのある1つの目標としてチャレンジしてみたいと思いました。
私の家から日帰りで行けそうなのは、奈良県の高安城、岡山県の大廻小廻山城、香川県の屋嶋城と讃岐城山城あたりだと思いますので、行くとしたらまずはその4ヶ所あたりかなぁ~

のり

のりさん が  松坂城(三重県松阪市)の城活ノートを更新しました(2025-10-30)

松坂城は、標高38mの独立した丘陵に築かれた平山城で、天正16年(1588)、秀吉によって南伊勢約12万石を拝領し移封された蒲生氏郷が、夜を日に継いでわずか3年で完成させたそうです。
現在は現存する建物は残っていませんが、豪壮な石垣が残っていて、石垣が好きな方にはたまらない城跡だと思います。
松坂市役所の駐車場の駐車場を利用して、道沿いに歩いて行くとすぐに総石垣の城跡がお出迎えしてくれました。1時間ほど見て回りましたが、どこもかしこも石垣だらけで、見どころが満載でした。
写真は二の丸の高石垣ですが、野面積みですがしっかりと高く積み上げられていて、蒲生氏郷公は藤堂高虎公と同じ近江出身の方だそうですので、穴太衆が関わっていたのかなと思いました。

松坂城の城活ノート一覧
のり

のりさん が  松ヶ島城(三重県松阪市)の城活ノートを更新しました(2025-10-28)

松ヶ島城は永禄10年(1567)に北畠具教がここ細首(松ヶ島の旧名)に築城するが、同12年、織田信長の来攻に際して自ら焼き廃城となった後、天正8年(1580)、具教の養子に入った信長の次男北畠信雄が同地に築城、松ヶ島城と改称しました。その後、同12年に蒲生氏郷が入城し南伊勢支配の拠点として栄えたが、松坂城の完成とともに廃城となったそうです。現在は丸ノ内・城ノ腰・殿町・本町等の地名が残り、天目茶碗の出土も知られています。
団員さんのコメントを参考に私の攻城日が平日だったため、松ヶ崎地区市民センターでパンフレットを購入しました。200円と300円の2種類あります。市民センター周辺の道は狭いので、車で行かれる方は注意してください。
最寄りの駐車場を尋ねてみたところ、松ヶ崎公園の駐車場が利用できると教えていただきましたので、松ヶ崎公園から天守山を目指しました。所々に案内標識がありますので、それにしたがってビニールハウスを目指していけば、天守山にたどり着けると思います。
写真は松ヶ崎地区市民センターで購入した300円の方のパンフレットです。両方中身を見せていただけますので、気に入ったほうを購入していただければと思います。両方買うのもアリだと思います。

松ヶ島城の城活ノート一覧
のり

のりさん が  津城(三重県津市)の城活ノートを更新しました(2025-10-22)

津城は織田信包(信長の弟)が天正8年(1580)に創築し、その後、藤堂高虎公が四国伊予の今治から移封、 慶長16年(1611)に大規模な改修を行い、北側の石塁を高く積み直し、その東北と西北の両隅に三重の櫓を作ったそうです。
現在では、本丸・西の丸・内堀の一部が残っています。
市役所の駐車場に駐車して、まずは高山神社に行ってパンフレットを貰いました。その後、西の丸、本丸と見学しました。見どころはやはり藤堂高虎公の特徴と言える本丸の北側にある高石垣と東側にある三重櫓だと思います。
街中にあり公園になっていて、見学しやすいと思いますので、津市に行かれた方は是非見学してみてください。
写真は見どころの一つである三重櫓です。

津城の城活ノート一覧
のり

のりさん が  置塩城(兵庫県姫路市)の城活ノートを更新しました(2025-10-20)

置塩城は別名「藤丸城」とも呼ばれ、後期赤松氏の本城で、文明元年(1469)に播磨、美作、備前の3か国の守護、赤松政則によって築城され、羽柴秀吉に服して開城するまでの約110年の間、城郭が存在したそうです。
置塩城まつりの現地見学会に参加し、播磨地域の中世城郭研究家、木内内則先生とガイドの皆さんに案内していただきました。
写真は西曲輪群を下りて行った先にある大手門跡ですが、整備された登山道が無いため、所々崩落している当時の道を下りて行ったのですが、木内先生についていくのがやっとでした(汗)
もし1人で行っていたら、おそらくここには来なかったと思いますので、参加して良かったと思いました。
置塩城まつりは毎年開催されているそうですので、機会があれば是非まつりの日に訪問される事をおすすめします。

置塩城の城活ノート一覧
のり

のりさん が最近のひとことを更新しました(2025-10-19)

今回は兵庫県姫路市にある播磨地方最大の山城である置塩城に行ってきました。私の家から車で1時間程の距離にありますので、行こうと思えばいつでも行けたのですが、御城印が置塩城まつりの日だったり、置塩城跡を継承する会が配布される日に行かないと入手できないといった理由もあり、1年以上入手する機会をうかがっておりました。
また置塩城まつりの日には現地見学会もあるということで、こうの団長や団員さんたちがコメントされていましたが、最近クマの出没が相次いでいて、1人で山城に行くのはリスクがあると思い、第30回置塩城まつりの日に攻城しました。
イベントの日とあって多くの方が登城されていましたので、利神城の時と同様に安心感がありました。それに登城前まで雨が降っていたのに、登り始めると晴れるといった状況まで全く同じでした。
二の丸まで登ると、団員さんの中には知っている方もいらっしゃるかもしれませんが、播磨の山城の縄張り図や復原図を描かれていて、「中世播磨250の山城」という書籍を書かれていて、播磨地方の山城を知り尽くした方で有名な木内内則先生がいらっしゃって、途中で置塩城跡を継承する会のガイドさんとも合流し置塩城を案内していただけました。私は木内先生の書籍を持っていますので、個人的には贅沢な見学会になりました。
一通り案内していただき下山すると、木内先生に手作りの播磨地方の山城の分布図(写真左上)や置塩城本丸の館の模型(写真左下)、置塩城二の丸の館の模型(写真右上)を見せていただき、当時の置塩城の様子が想像出来ました。写真右下は置塩城まつりの様子です。
木内先生がおっしゃっていたのですが、他の地方の山城に比べて播磨地方の山城の防御設備が少ないのは、中世の播磨地方は武士よりもお寺やお公家さんのほうが影響力が強く、戦になったらいつでもお寺へ逃げ込めるように作られているからだそうです。この説には私も驚きました。
しかし60年間も播磨地方の山城の縄張り図や復原図を描かれていらっしゃる木内先生は本当にすごいと思います。今回は本当にラッキーな攻城でした。

のり

のりさん が  神戸城(三重県鈴鹿市)の城活ノートを更新しました(2025-10-19)

神戸城は伊勢平氏の流れをくむ神戸氏によって、飯野寺家町にあった沢城から天文年間に城を築いて移ったのが始まりだそうです。
その後天守は文禄4年(1595)に桑名城に移され、城は明治8年(1875)に解体されて神戸高校の敷地となり、現在は石垣だけが残っているそうです。
神戸公園駐車場に駐車して攻城しました。
城跡は平城で、現在神戸公園として整備されていますので、かなり見学しやすくなっています。私が訪れた際には本丸跡で地元の方々がグランドゴルフをされていましたので、地元の方の憩いの場にもなっていると感じました。
こじんまりとした城跡ですが、一番の見どころと言われている天守台の石垣がとても素晴らしかったですので、興味がある方は是非行ってみてください。
写真は本丸の西側にある水堀で、個人的にはこちらも石垣と同様に一見の価値があると思います。

神戸城の城活ノート一覧
のり

のりさん が  亀山城(三重県亀山市)の城活ノートを更新しました(2025-10-18)

天正18年(1590)に岡本良勝が亀山古城の東に新たに築城したとされるのが、現在の亀山城だそうです。明治6年(1873)の廃城令によって、ほとんどの建造物が取り壊され、堀も埋め立てられ、現在は多聞櫓と石垣、土居、堀の一部のみが残っているそうです。
団員さんたちのコメントを参考に公園池駐車場に車を停めて攻城しました。車から降りるとすぐに二の丸帯曲輪の土居と土塀がお出迎えしてくれました。
そこから1時間ほど街中を散策しましたが、案内板などが設置されていたり、遺構が復元されていたりと思っていた以上に見どころがあったので、かなり楽しめました。
多聞櫓に関しては土日祝日に内部が公開されるそうですので、出来れば土日祝日に行かれたほうが良いと思います。

亀山城の城活ノート一覧
のり

のりさん が最近のひとことを更新しました(2025-10-18)

今回は藤堂高虎公のバッジを獲得するために、最後に残っていた三重県の津城に行ってきました。
今年の目標に高虎公のバッジを獲得すると言ってみたものの、江戸城への遠征の目途がついていなかったので、今年は無理なんじゃないかと思っていたのですが、春に江戸城に行くことが出来たので、何とか今年の目標を達成することが出来ました。
他にも亀山城や、神戸城、松ヶ島城、松坂城と巡ったのですが、平城や平山城ばかりで街中を散歩しながらの攻城でしたので、今回はかなり楽でした。
天空の城バッジの時もそうでしたが、バッジを獲得してしまうとやっぱりさみしくなりますね。また今年中に来年の目標を考えていきたいと思います。
写真は津城にある藤堂高虎公像です。

のり

のりさん が最近のひとことを更新しました(2025-10-05)

久しぶりの投稿になると思いますが、今回は城たび「利神城貸切ガイドツアー」に参加してきました。
約半年前に、このツアーの幹事を引き受けまして、こうの団長と一緒に企画を温めてきました。
企画を立ち上げた当初は、ガイド協会からは最大20人までと聞いていましたが、何人参加していただけるかわからない状態で、最少催行人数が2人という事もあり、最悪私とこうの団長だけでも参加しようという話になっていたのですが、いざ募集をかけてみたところ毎月サポーター限定だったにもかかわらず、わずか数日で20人埋まって更にキャンセル待ちまで出ていましたので、かなり驚きました。それだけこのツアーに期待していただいたのだと思います。
攻城団のイベントには初参加&初幹事ということで、うまくできるか当日までかなり緊張していました。
集合時間の時には雨が降っていて、利神城の天守丸にも霧がかかっているような状態で、無事開催できるか不安でしたが、
登城前になると、参加者の皆さんの念力が通じたのか一気に晴れ間が広がり、逆に蒸し暑くなりました(汗)
おかげさまで誰も怪我することなく、天守丸まで登り、無事下山できましたので、良かったと思います。
ツアーの詳細については、こうの団長や他の参加された団員達からもレポートやブログなど何かしらの報告があると思いますので、
私からは最近のひとことだけにさせていただきたいと思います。
写真右下の懇親会の会場のKUMOTSUKIさんのケーキセットがとても美味しかったです。

のり

のりさん が最近のひとことを更新しました(2025-07-24)

先日、家のリビングで探し物をしていたら、私の古いアルバムが出てきました。
私の幼少期の写真がたくさんあったのですが、その中に母が撮影したと思われる父と妹と一緒に写ったお城の写真がありました。どこの城の写真なのか一目瞭然だったのですが、一応両親に確認してみたところ、予想通り姫路城で撮った写真だと言っていました。撮影場所は三の丸広場だと思います。
写真の左下に撮影日時が表記されていますが、今から約40年以上前で、国宝には指定されていましたが、まだ世界遺産には登録されていない時代で、平成の大修理もまだ行われていないので、やはり現在の天守と雰囲気が少し違うような気がしますね。
過去の動画でこうの団長もおっしゃっていましたが、当時はデジカメやスマホが無くフィルムが主流の時代で、現像するのにも料金がかかりましたので、現在のように写真をたくさん撮ることが出来ないなかで、貴重な写真を残してくれていた両親に感謝しております。
こうの団長もこの当時は相当若かったでしょうね~

のり

のりさん が  新庄城(京都府南丹市)の城活ノートを更新しました(2025-07-17)

新庄城は室町時代に築かれた城で、丹波守護代・内藤家に仕えた小守護・井上氏の居城として知られているそうです。
写真は新庄城の登城口で、令和7年5月に地元有志の団体「新庄城跡の自然を守る会」が新登山ルートを整備され、文覚ふれあい公園の南側にある、ジヤトコ株式会社の敷地内から登ることが出来るようになっています。
遺構としては、石垣以外の防御設備が網羅されたような感じで残っていて、標柱も建っていますので、山城初心者の方には特におすすめの山城だと思います。
各曲輪からの見晴らしの良さからは、交通の要衝であったこともうかがえました。
南丹市は八木城や園部城が有名ですが、私としては新庄城もこの2城に匹敵すると思いますので、是非行っていただければと思います。

新庄城の城活ノート一覧
このアカウントをフォローすれば「最近のひとこと」などの活動履歴をもれなくチェックすることができます。
フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

オールカラーでわかりやすい! 日本の城

図面やイラストがふんだんに使われていて、すごくわかりやすかったです。ひとつの項目を見開き2ページで解説されているので、毎日ちょこちょこ読むのに最適でした。

こうの)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る