のり

のり(のり)さん 家老 サポーター   フォロー

兵庫県丹波市在住。
御城印がきっかけで攻城団に出会いました。城を巡っていくうちに御城印だけでなく、城の遺構や歴史に興味を持つようになり、後に訪問する団員さんたちに少しでも情報提供できるように、攻城記録やアップした写真に必ずコメントするように心がけています。

のりさんのタイムライン

のり

のりさん が  友政城(兵庫県丹波市) の写真をアップしました(2024-05-22)

東郭の竪掘
東郭の竪掘

東郭の東側から北側に向かって竪掘が伸びています。

のり

のりさん が  友政城(兵庫県丹波市) の写真をアップしました(2024-05-22)

土橋
土橋

東郭と自然地形郭の間は土橋で繋がれています。

のり

のりさん が  友政城(兵庫県丹波市) の写真をアップしました(2024-05-22)

自然地形郭
自然地形郭

友政城の東端にある細長い曲輪で、写真では分かりにくいですが、右側に土塁が伸びています。

のり

のりさん が  友政城(兵庫県丹波市) の写真をアップしました(2024-05-22)

登山道
登山道

階段状に整備されて登りやすいですが、ここから縄張りに入るまで傾斜が急な道となっています。

のり

のりさん が  友政城(兵庫県丹波市) の写真をアップしました(2024-05-22)

麓の休憩所
麓の休憩所

防獣柵の先にあります。ここから縄張りに入るまで傾斜のきつい道になりますので、ここで休憩してから行くのがおすすめです。

のり

のりさん が  友政城(兵庫県丹波市) の写真をアップしました(2024-05-22)

登城口
登城口

この道の先に防獣柵があり、登山道に入ります。

のり

のりさん が  友政城(兵庫県丹波市) の写真をアップしました(2024-05-22)

友政城案内板
友政城案内板

グランドゴルフ場の向かい側にある駐車スペースにあります。

のり

のりさん が  友政城(兵庫県丹波市) を攻城しました(2024-05-22)

位置情報にある駐車スペースからグランドゴルフ場の登城口より攻城。主郭まで整備されており、山城の初心者の方でも簡単に登れると思います。虎口から主郭までの西段郭群や主郭と東郭の間の二重堀切が見どころです。

のり

のりさん が  大阪城(大阪府大阪市) の写真をアップしました(2024-05-21)

京橋口枡形の巨石
京橋口枡形の巨石

肥後石と呼ばれており、城内第2位の表面積で54.17㎡で33畳の広さがあります。かつては加藤清正が運んだといわれていたので肥後石と呼ばれたそうですが、岡山藩の池田忠雄の丁場なので、正確ではない名前になってしまっているそうです。

のり

のりさん が  大阪城(大阪府大阪市) の写真をアップしました(2024-05-21)

京橋口
京橋口

大阪城の北西側の入口で、元和6年(1620年)に造られた内枡形の門です。門は昭和20年(1945年)の空襲で焼失しましたが、現在も見事な巨石の石垣が残っています。

のり

のりさん が  大阪城(大阪府大阪市) の写真をアップしました(2024-05-21)

乾櫓
乾櫓

石垣の高さは水面から約18m、建物の高さは約10.3mとなっています。L字型の総2階造り、1階と2階の平面がいずれも186.23㎡と同じ広さで城の櫓としては、非常に珍しいかたちをしています。

のり

のりさん が  大阪城(大阪府大阪市) の写真をアップしました(2024-05-21)

市多聞跡
市多聞跡

明治維新の火災で焼失するまで、135㎡の独立した多聞櫓があったそうです。大手口桝形はコの字で多聞櫓が取り囲んでるなど、焼失前の京橋口同様に防御の工夫が伺えます。

のり

のりさん が  大阪城(大阪府大阪市) の写真をアップしました(2024-05-21)

西の丸庭園
西の丸庭園

豊臣秀吉の時代から、西の丸は本丸に次ぐ重要な場所で、当時は兄の秀吉を補佐した豊臣秀長の屋敷があったそうです。また、正室北政所(おね)が住んだこともありましたが、関ケ原の戦いの前に徳川家康が乗り込んで、この場所にもう一つ天守を建て、この2つの天守があることで城主が2人いるのではないかと、豊臣家の奉行衆が弾劾状を出し、それが原因の一つとして関ケ原の戦いが起こったそうです。

のり

のりさん が  大阪城(大阪府大阪市) の写真をアップしました(2024-05-21)

本丸石垣と天守
本丸石垣と天守

西の丸庭園より撮影。空堀の幅は約21m、眼前にそびえる本丸石垣の高さは約18mあり、石垣上には三重の櫓、数寄屋前櫓が建っていたそうです。

のり

のりさん が  大阪城(大阪府大阪市) の写真をアップしました(2024-05-20)

乾櫓からの眺望
乾櫓からの眺望

乾櫓内より西外堀を望む。

のり

のりさん が  大阪城(大阪府大阪市) の写真をアップしました(2024-05-20)

乾櫓内1階
乾櫓内1階

通し柱で造られており、間取は内室が3室あり、その城外側を幅一間の武者走りが巻くという形になっています。

のり

のりさん が  大阪城(大阪府大阪市) の写真をアップしました(2024-05-20)

乾櫓内の鯱と瓦
乾櫓内の鯱と瓦

乾櫓の修理時に交換された鯱や瓦が保管されています。

のり

のりさん が  大阪城(大阪府大阪市) の写真をアップしました(2024-05-20)

乾櫓内の懸魚
乾櫓内の懸魚

乾櫓の修理時に交換された懸魚が保管されています。

のり

のりさん が  大阪城(大阪府大阪市) の写真をアップしました(2024-05-20)

乾櫓(西の丸庭園側)
乾櫓(西の丸庭園側)

乾櫓の由来は西北を指す「乾(いぬい)」から来ており、千貫櫓と同様に元和6年(1620)に造られたそうです。太平洋戦争の空襲で、爆弾が北側の水堀に落ち、石落としが吹き飛ぶ被害を受けましたが、昭和31年(1956)に解体修理され、現在に至ります。国の重要文化財。

のり

のりさん が  大阪城(大阪府大阪市) の写真をアップしました(2024-05-20)

大阪迎賓館
大阪迎賓館

平成7年(1995)11月にアジア太平洋諸国の首脳級が参加する国際会議「APEC'95」の舞台として各国の要人をおもてなしするために西の丸庭園に建てられた迎賓館で、世界遺産である京都二条城二の丸御殿の白書院をモデルに、古式塗りなど日本の伝統の技がちりばめられた壮麗な佇まいとなっています。

このアカウントをフォローすれば「最近のひとこと」などの活動履歴をもれなくチェックすることができます。
フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

火天の城 (文春文庫)

熱田の宮大工父子が織田信長の命を受け、近江の安土山に空前の巨大な天主を築き上げる物語。大工以外にも石工や瓦職人、木こりといった戦国武将以外の登場人物を生き生きと描き出し、松本清張賞を受賞したユニークな力作だ。親子の葛藤や若い棟梁の成長物語といった小説としての作法のほか、普請の様子が丁寧に書かれているところも、城好きにとっては魅力的といえる。

CLADさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る