|
ぐこさん が 田中城(静岡県藤枝市) の写真をアップしました(2024-08-24)
下屋敷泉水と築山跡江戸時代後期の田中城絵図によると、下屋敷には築山、泉水があり、景色が良かったということです。南側の築山は一部だけ名残を残しています。
|
|
ぐこさん が 田中城(静岡県藤枝市) の写真をアップしました(2024-08-24)
下屋敷土塁下屋敷の北西にも土塁はあったようですが、六間川の改修でなくなっているようです。
|
|
ぐこさん が 田中城(静岡県藤枝市) の写真をアップしました(2024-08-24)
田中城ジオラマ(本丸櫓内)
|
|
ぐこさん が 田中城(静岡県藤枝市) の写真をアップしました(2024-08-24)
田中城本丸櫓もともと田中城本丸南東隅の石垣上に立っていた櫓です。
櫓内は靴を脱いで上がれ、下屋敷内を眺めれますし、ジオラマやお城、家康さんについて知ることができます。
|
|
ぐこさん が 田中城(静岡県藤枝市) の写真をアップしました(2024-08-24)
田中城下屋敷冠木門当時の図面をもとに復元した冠木門です。
まず下屋敷で知識とパンフレットを手に入れてから城内を回ると良いです。
|
|
ぐこさん が 田中城(静岡県藤枝市) を攻城しました(2024-08-24)
|
|
ぐこさん が 田中城(静岡県藤枝市)の城活ノートを更新しました(2024-08-24)
JR西焼津から徒歩10分ほどで、田中城下屋敷に到着。まずは下屋敷内を見学しました。無料です。
田中城下屋敷は江戸後期の城主下屋敷跡で、池や土塁のある庭園が復元され、田中城関連の建物が移築されています。
下屋敷に現在ある本丸櫓は本丸南東隅の石垣上に建っていたもので、靴を脱いで中へ上がれます。
櫓内にはジオラマや田中城と徳川家康に関する資料が展示されています。
受付でいただいた田中城跡散策ガイド、遺構図を手に、城内見学に行きました。
まず下屋敷を出て四之丸を西へ進みます。主に畑となっている三之堀沿いに西へ向かって行きました。畑の奥には三之丸土塁が数箇所、家老屋敷の土塁も見られます。中学校の裏手の三之堀と土塁は特によくのこっています。
一旦城外へ出て、田中城の水源として木管で城内に水を引いていた姥ヶ池に寄りました(写真)自噴の池で、大切に石垣で囲われていて、梅花藻まで咲いていました。
次に本丸に向かいます。
小学校の建物を右手に見ながら少し行くと大手二之門跡で、大手二之橋を模した木橋が二之堀に架けられています。向かいの住宅地の中には家老屋敷跡と三之丸土塁が整備されています。
二之丸内を進むと三日月堀(馬出曲輪)の案内板、その奥には三日月堀があります。半分になってしまっているとはいえ住宅地の中に三日月堀が見られるなんて、すごいですね。三日月堀の奥の二之丸と本丸は小学校になっていて、校門脇に本丸跡の標柱が立てられています。校内に田中城を模したお庭があるみたいですが、夏休み中の為入りづらくやめときました。
城域は住宅地で遺構の多くが失われていますか、あちこちに堀や土塁が点在し、遺構がなくとも標柱も随所に立てられていて、面白いです。西に向かって散策していたのに、弧を描く道を進むうちに気が付くと東向きになり元に戻っていて、円郭式の縄張りが体感できます。
下屋敷から南東に少し進んだ旭傳院には田中城の不浄門が移築されています。
下屋敷の見学も含めて、2時間くらいかかりました。
|
|
ぐこさん が 井伊谷城(静岡県浜松市) の写真をアップしました(2024-08-23)
井伊氏発祥の井戸1010年始祖井伊共保公は井戸の傍らで出生したと伝わります。
井伊直弼公の歌碑もあります。
|
|
ぐこさん が 井伊谷城(静岡県浜松市) の写真をアップしました(2024-08-23)
松岳院跡地井伊直虎が母松岳院と暮らし生涯を閉じた塔頭跡地。龍潭寺内です。
|
|
ぐこさん が 井伊谷城(静岡県浜松市) の写真をアップしました(2024-08-23)
井伊谷宮御祭神は後醍醐天皇第四皇子の宗良親王。
南北朝時代に南朝方として井伊家と共に奮戦しました。
奥に陵墓があります。
|
|
ぐこさん が 井伊谷城(静岡県浜松市) の写真をアップしました(2024-08-23)
国指定名勝龍潭寺庭園(御霊屋方面から)小堀遠州作の禅宗のお庭。横に長い池泉は心字池になっていて、築山には数多くのサツキやツツジが植えられ、地元のチャート石が多く用いられて滝石組が作られています。
|
|
ぐこさん が 井伊谷城(静岡県浜松市) の写真をアップしました(2024-08-23)
国指定名勝龍潭寺庭園(書院から)小堀遠州作の巨石が表現する禅宗のお庭。井伊直弼などのお殿様は書院から眺めたそうです。
解説の放送があり勉強になります。
|
|
ぐこさん が 井伊谷城(静岡県浜松市) の写真をアップしました(2024-08-23)
井伊家菩提寺龍潭寺本堂と補陀落の庭龍潭寺の名前は桶狭間合戦で亡くなった井伊直盛の法名が由来とのこと。本堂には遠州最大の大仏さんや宗良親王も祀られています。
本堂前の枯山水庭園、補陀落の庭は浜名湖を表してるそうです。
|
|
ぐこさん が 頭陀寺城(静岡県浜松市) の写真をアップしました(2024-08-22)
松下嘉平次館跡頭陀寺の南、頭陀寺第一公園の東に石碑がありますが、そこにある縄張り図を見ると、城趾の中心部大半は東隣のお寿司屋さんになります。
|
|
ぐこさん が 頭陀寺城(静岡県浜松市) の写真をアップしました(2024-08-22)
頭陀寺本堂裏の三将像頭陀寺本堂裏に銅像があります。
ここで三年奉公したと伝わる秀吉像、曳馬城攻めの際この辺りに陣取ったとされる家康像、母の再婚相手のツテで匿われたとされる直政像です。
|
|
ぐこさん が 頭陀寺城(静岡県浜松市) の写真をアップしました(2024-08-22)
頭陀寺頭陀寺から南にかけては多くの塔頭寺院が広がり、南東には土塁と堀を構えた今川氏に仕える飯尾氏の寄子・松下之綱の屋敷もあり、このあたりを総称して頭陀寺城と呼んだそうです。お寺の裏手に秀吉、家康
直政の銅像があります
|
|
ぐこさん が 真田本城(長野県上田市) を「行きたいお城」に登録しました(2024-08-21)
|
|
ぐこさん が 浜松城(静岡県浜松市) の写真をアップしました(2024-08-21)
椿姫観音堂曳馬城を守っていた亡き城主飯尾連龍の正室お田鶴の方は、家康に攻め込まれ、城兵や侍女18人と共に打って出て全員が討死しました。
戦場となったこの一帯に、家康はお田鶴の方と侍女を手厚く葬り祠を建て、築山御前が椿を植え、以後椿姫観音堂と呼ばれるようになったとのことです。
|
|
ぐこさん が 浜松城(静岡県浜松市) の写真をアップしました(2024-08-21)
三方ヶ原古戦場碑石碑のある三方ヶ原の根洗付近で合戦が開始されたとされます。
この敗戦で、野戦の駆け引きや短時間で勝敗を決するという哲理を学んだとのこと。
|
|
ぐこさん が 浜松城(静岡県浜松市) の写真をアップしました(2024-08-21)
夏目吉信顕彰碑三方ヶ原合戦で敗走中の家康の身代わりとなり討死したとされる夏目吉信の顕彰碑。
|
|