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=いつも沢山のあっぱれありがとうございます=

コロナ禍以降お城に出かける回数がぐっとへってしまいましたが
昨年からドローンを飛ばしてくれる相棒をみつけたので、
空撮に力を入れることにしました。
空から城址の全体を撮影して、縄張図と見比べると新しい発見があって感動しちゃいます。
普段あまり見られない映像を皆さんにシェア出来たらなと思っています。


★プロフ★群馬県在住♀、趣味は城めぐりとラリー(モータースポーツ)
「むぎの城さんぽ」というブログを書いています。Twitterも同じアイコンです。
「むぎとうしの歴史さんぽ」というYouTubeチャンネルでドローンでのお城郭の紹介や城郭の面白ネタ動画を毎週金曜日交互に配信しています。

むぎさんの攻城記録一覧(履歴)

団員のみなさんの個人ブログに最近投稿された攻城日記です。

リンク先の内容や安全性は攻城団が保証できかねますのでくれぐれもご注意ください
 瀬戸川城

瀬戸川城(愛知県) - むぎの城さんぽ

【瀬戸川城】せとがわじょう【別名】しろんど城【構造】平城【築城者】浅井源四郎【築城年代】13世紀頃【指定史跡】ー【場所】愛知県尾張旭市瀬戸川町1丁目地図江戸時代(天保12年)の瀬戸川村絵図には古城と記されたものが残っています。城主の浅井氏は井田城城主の一族で、浅井玄蕃允の弟である浅井源四郎の居城だと伝わります。発掘調査により、東西約45m、南北約55mの平城跡が確認されています。出土したものから推測すると16世紀中頃まで使用されていたものと思われます。また、尾張旭七城のひとつとされていますが、現在遺構は残っていません。城址碑と案内看板尾張旭市立三郷小学校の南西角にある城址碑と案内看板です。手掛かりとなりそうな愛知用水を探したのですが、近くに見当たらず縄張もわからないほどに地面はアスファルト化していて名残す...瀬戸川城(愛知県)

 井田城

井田城(愛知県) - むぎの城さんぽ

【井田城】いだじょう【別名】尾張井田城【構造】平城【築城者】浅井玄蕃充【築城年代】1390年~1394年(明徳年間)【指定史跡】ー【場所】愛知県尾張旭市井田町4丁目地図井田城は、寛文年間にまとめられた「寛文村々覚書」に古城跡とされており、既にこの頃には廃城になっていました。発掘調査では堀と土塁、井戸跡やかまど跡などがみつかっており、瀬戸焼、美濃焼などの室町時代以降の茶碗なども多く出土しています。八反田公園城跡は公園化し、遺構は残っていません。トイレトイレの方を見ると、少し盛り上がっているのが見えます。古くから城山と呼ばれていたように、周囲の田畑より城域は高くなっていたと思われます。その当時の名残なわけではないのでしょうが、そこには城址碑が立てられています。案内看板看板や城址碑が見える位置にやって来ました。...井田城(愛知県)

 金谷城

金谷城(愛知県) - むぎの城さんぽ

【金谷城】かなやじょう【別名】衣城【構造】平山城【築城者】中条景長【築城年代】1308年(延慶元年)【指定史跡】市指定史跡【場所】愛知県豊田市金谷町1丁目地図金谷城は、室町幕府奉行衆であった中条景長が築いた城と伝わります。井田野合戦で敗北すると、急速に衰退し中条氏は織田信長によって滅ぼされました。その後三宅康貞が入城し、桜城を築くと金谷城は廃城となりました。金谷勝手神社城址碑があるという金谷勝手神社へやって来ました。この神社も城域の一部ではあるのですが、主な城跡はここより東側にある林の中です。城址を横断するように名鉄三河線が通っているのでその部分の遺構は破壊されています。金谷勝手神社は、鎌倉時代中期に中条氏の鎮守として建立されました。総本社は、奈良県吉野町にある勝手神社で全国に28の分社があるうちのひとつ...金谷城(愛知県)

 田代城(額田郡)

田代城(愛知県) - むぎの城さんぽ

【田代城】たしろじょう【別名】ー【構造】丘城【築城者】不明【築城年代】不明【指定史跡】ー【場所】愛知県豊田市下山田代町入北切地図田代城は足助七城のひとつで、ここ田代城は居館とし、戦時の拠点は「京ヶ峰」にありました。大沼城と同様に1574年(天正2年)、または1571年(元亀2年)に甲斐の武田軍に攻め落とされています。そのほか、城の歴史に関しては詳しいことはわかっていません。案内看板また城址の真下の道でGoogleマップにリリースされたのですが、よくあることなので、なんとなく匂いのする方へ来てみたら案内看板がありました。矢印の看板に従って行くと行けるようです。見落とさないようにここで曲がりましょう。登城口さて、矢印はどうやらこのすすきの中へと案内しているようです。道…よ~く見るとあるんですよ。(来たことある...田代城(愛知県)

 大沼城

大沼城(愛知県) - むぎの城さんぽ

【大沼城】おおぬまじょう【別名】ー【構造】山城【築城者】木村安信【築城年代】1469年~1487年(文明年間)【指定史跡】ー【場所】愛知県豊田市大沼町八沢地図大沼城は、足助七城のひとつとされる城です。初代城主木村安信は信仰が厚く、麓に入宝山神宮寺を建立しています。二代目新九郎信元は甲斐の武田軍に攻め落とされ、討死しています。その後、大給城城主松平乗元の二男松平親清が城主となり、跡を継いだ近正は徳川家康の旗本で武功をたて、上州三の倉に五千石を賜り上州へと移りました。登城口道が整備されているのを見ると、登りやすそうにみえるのですが、とにかく暗くなってきているので今回は見送ることにします。奥に見える看板には「本丸跡まで130mガンバッテ登ってね」と書いてあるのが微笑ましい。しかし、距離は短いが急な登りを想像して...大沼城(愛知県)

 大山城

大山城(群馬県) - むぎの城さんぽ

【大山城】おおやまじょう【別名】―【構造】山城【築城者】野宮淡路守信勝【築城年代】不明【指定史跡】―【場所】富岡市神農原地図大山城は宮崎城や神農原城の対岸にある鏑川の断崖上にあります。この周辺には上信越自動車道で削られてしまった城址など五つの城址が並ぶ軍事的に重要な地帯であったことが偲ばれる場所でもあります。城主は野宮淡路守信勝から28代まで続き、天正18年豊臣秀吉勢に抵抗し国峰城が落城とともに衰退。後に茂木姓を名乗り茂木氏の祖となりました。駐車場上信越自動車道の橋脚の袂に数台分の駐車スペースがあるので駐車場なわけではないのですがこちらに車を停めて川に沿って進みます。入口ガードレールの切れ目から侵入します。この川に沿って進むと看板が見えて来ます。入口看板道路から見えた看板がこれです。ちゃんと整備されていま...大山城(群馬県)

 漆窪城

漆窪城(群馬県) - むぎの城さんぽ

【漆窪城】うるくぼじょう【別名】ー【構造】平山城【築城者】長尾氏【築城年代】1558年~1570年(永禄年間)【指定史跡】ー【場所】群馬県前橋市富士見町漆窪地図漆窪城は、舌状台地の先端に築かれた城です。永禄年代に長尾大膳が居城したと伝わり、現在も遺構が良好に残っています。大膳は石倉城主である長尾景善の弟で、大膳の養子となって石倉から移住して大膳を襲名したと伝わります。道になっている部分が堀跡になります。櫓台のような高まりのあった場所に城址碑と看板が立っています。堀跡再び城址碑のところまで戻って来ました。城址碑の西側にある道もまた堀跡です。舌状台地の先端の方へと延びる二の郭。城域にあるソーラー。主郭頂上ではなく、中間に位置しています。追手虎口一番長い堀の東先端に着く追手の虎口。三の郭を覗きに行って見ましょう...漆窪城(群馬県)

 賤ヶ岳城

賤ケ岳城(滋賀県) - むぎの城さんぽ

【賤ケ岳城】しずがたけじょう【別名】賤ケ岳砦【構造】山城【築城者】不明【築城年代】不明【指定史跡】ー【場所】滋賀県長浜市地図本能寺の変により織田信長の死を知らされた羽柴秀吉は中国大返しを敢行、山崎の戦いで首謀者の明智光秀を討つと、織田家では羽柴秀吉と柴田勝家が対立し賤ケ岳の合戦へと発展。賤ケ岳城は、賤ケ岳の戦いよりも以前に築かれていた城であることが「信長公記」にみられます。山頂近くまでリフトで登ることが出来ます。遠景正面に見える山が賤ケ岳です。頂上の樹が伐採されていて、山に一直線にリフトのラインが見えています。駐車場麓のリフト乗り場駐車場に到着。リフトが午前9時から稼働ということで、9時になる前に他の城に寄り道をしてからやって来ました。この日は天気も良かったので、この後すぐに満車になりました。リフト乗り場...賤ケ岳城(滋賀県)

 石倉城

石倉城(群馬県) - むぎの城さんぽ

【石倉城】いしくらじょう【別名】崖端城【構造】平城【築城者】長尾憲景【築城年代】1485年(文明17年)【指定史跡】-【場所】前橋市石倉町5丁目7−12地図石倉城は、蒼海城主の長尾忠房の嫡男長尾憲景が築きました。関東の要衝であった石倉城は、上杉、武田、北条の奪い合いが続き何度もの攻防戦が繰り返されてきました。天正18年徳川勢の侵攻により、「もはやこれまで」と城に火を放ち城兵とともに落城の運命を辿りました。城址碑石倉城二の丸公園内にある城跡碑です。案内看板城址碑の横に並ぶ案内看板は縄張図が記されています。もう薄くなって見ずらいです。石倉城之記石倉城を後世に伝えるべく石倉史蹟愛好会が建てた「石倉城」を記した碑です。二の丸公園二の丸は公園と化しています。厩橋城の前身とも伝わる石倉城は、利根川の氾濫を受けて多くを...石倉城(群馬県)

 猫城

猫城(群馬県) - むぎの城さんぽ

【猫城】ねこじょう【別名】猫山城・猫寄居【構造】山城【築城者】都丸氏【築城年代】不明【指定史跡】ー【場所】渋川市赤城町敷島地図南は諏訪沢、北は持久保の深い谷に挟まれた丘陵で、東西約100m、南北10数mの小さい城である。加沢記によれば、城主の牧和守は北条方で、上杉方の真田軍と大いに奮戦している(標柱より)この城は、東郭と西郭から成る一城別郭として構築されています。そして、白井の属城で天正時代には津久田城と共に牧和泉守の守る城でした。大手道ここから西郭へ登ることが出来るようです。ちょっと覗いてみましたが…。真上に尾根道があるようですが、あまり急斜面を登りたくないので、戻って、舗装路を進むことにします。この場所から尾根に出て、尾根伝いに行くことが出来るので体力はいりません。先ほど見えたカーブミラーが目印です。...猫城(群馬県)

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今日のレビュー

東京城址女子高生 2 (ハルタコミックス)

一巻に引き続き2人の女子高生が中心となりますが、新キャラクターも登場して、ついに都内を飛び出します。
また、一巻二巻ともお城好きなら一度は感じたことがあるであろう悩みも所々に散りばめられており、共感できました。

castle.TATOさん)

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