もとき()さん 大老   フォロー

いつもありがとうございます。
みなさまの攻城記録や写真を拝見して、やっぱり城っていいなぁと思いながら、次の攻城計画に想いを馳せています。

2021/7/17追記)
●日本城郭検定一級に合格しました!
●秋冬シーズンに向けて遠征計画中です。
●とくに山城はトレッキングになるので、アウトドアスタイルを模索中です…

もときさんのタイムライン

もときさん が  名護屋城(佐賀県唐津市) の写真をアップしました(2024-06-01)

前田利家陣跡
前田利家陣跡

前田利家の陣跡からは、大型掘立柱建物の御殿跡、蔵跡、井戸跡などの居住空間に関する遺構のほか、小規模な掘立柱建物跡や手水右、蹲台、雪隠、池泉跡など、数寄屋空間に関連する庭園遺構が多く発見されています。徳川家康とともに明国の使節団をもてなした際の饗応の場として使われたほか、秀吉の来訪(御成)を受けるなど、利家の立場に相応しい意匠を凝らした陣屋であったことがうかがえます。
(現地案内板)

もときさん が  名護屋城(佐賀県唐津市) の写真をアップしました(2024-06-01)

山里口
山里口

豊臣秀吉は側室の広沢局らを召して、芝居・能・茶道にふけりましたが、それは主としてこの”山里”の一郭で行なわれたものと考えられています。山里丸は、上・下2つの曲輪よりなっており、ここ山里口は上山里丸に通じる虎口(出入口)の一つです。昭和62~平成元年度(1987~1989)の発掘調査により、門礎石・石段・玉砂利敷が新たに発見され、防御面を配慮した複雑な出入口であることが明らかになりました。
(現地案内板)

もときさん が  名護屋城(佐賀県唐津市) の写真をアップしました(2024-06-01)

二ノ丸合坂
二ノ丸合坂

崩壊の危険性が高かった二ノ丸西側で調査を行い、解体修理の基礎資料としました。発掘調査の結果、延長110mの西側石垣において、「合坂(あいさか)」と呼ばれる相対する石段を3箇所で確認しました。これらの合坂は、遊撃丸と同様に城の西側の防御を重視した配置で、兵の移動を容易にしていたことが窺えます。また、崩壊した石段の様子から、合坂は人為的にかつ徹底的に破却されていることがわかります。
(現地案内板)

もときさん が  名護屋城(佐賀県唐津市) の写真をアップしました(2024-06-01)

搦手口
搦手口

前方の斜面は弱手口と呼ばれる、名護屋城に5つある虎口(城の出入口)のひとつです。搦手とは城の裏側という意味で、表側の天手に対する言葉です。城の守りを固めるために通路を屈折させた、典型的な喰違い虎口の形状をしており、瓦敷排水溝跡が見つかりました。現在は、ここ弾正丸東側とともに、平成3年度と4年度(1991~1992)に、石垣の緊急修理を実施、あわせて仮園路を設置しました。
(現地案内板)

もときさん が  名護屋城(佐賀県唐津市) の写真をアップしました(2024-06-01)

本丸大手
本丸大手

三ノ丸と本丸を結ぶ通路で、平成3年度からの発掘調査によって、大きな城門の礎石やL型に曲がった石段、石垣の上へあがる広い石段などの遺構や、門や櫓のものと思われる、大量の瓦などの遺物が見つかりました。さらに、ここは数度の改築が行われており、現在の形が一度にできたのではないということもわかりました。平成5年度の石垣修理では、変化の最終時期を基本に、門礎石を加えて警備しました。
(現地案内板)

もときさん の読者投稿欄「お城にハマり出した頃の自分に、今の自分が声をかけられるとしたら何と声をかけますか?」への回答が公開されました(2024-06-01)

「岩盤に築かれた山城に井戸?…貯水かな」「風化して重さに耐えきれず割れた石垣…砂岩だな」「名護屋城の鬼門に…徳川家康陣跡があるな」
…将来、あなたはこうなります。

もときさん が  姉川城(佐賀県神埼市) を攻城しました(2024-05-28)

もときさん が  獅子ケ城(佐賀県唐津市) を攻城しました(2024-05-28)

三の丸から本丸まで累々と築かれた石垣がかなり素晴らしい。城域の駐車場にある案内板にあるとおり、ぐるっと効率よく散策できます。

もときさん が  岸岳城(佐賀県唐津市) を攻城しました(2024-05-28)

登城口付近(位置情報)に駐車場あり。道はよく整備されていて歩きやすいです。二の堀切以降は崩落したものを含めて哀愁漂う石垣がたくさん。

もときさん が  名護屋城(佐賀県唐津市) を攻城しました(2024-05-28)

信長の野望とのコラボで城跡・陣跡各所に案内板が新設されていました。広大なので時間と体力には余裕を。整備された木下延俊陣跡と博物館内に再現された黄金の茶室も素晴らしい。

もときさん が  唐津城(佐賀県唐津市) を攻城しました(2024-05-28)

もときさん の読者投稿欄「家族旅行で訪問するのにオススメのお城を教えてください」への回答が更新されました(2024-04-30)

「島原城の城キャン」です。
残念ながら自分で体験したことはまだ無いのですが、マイカーまたはレンタカーはもちろん、常設のキャンピングトレーラーにも宿泊可能だそう。ライトアップされた天守を眺めながらワイワイやるのって楽しそうですよ。

もときさん が  勢福寺城(佐賀県神埼市) を「行きたいお城」に登録しました(2024-04-28)

もときさん が  杉山城(埼玉県嵐山町) の写真をアップしました(2024-04-24)

本郭からの眺望
本郭からの眺望

これまで築城年代や築城者が不明でしたが、国指定文化財にむけた発掘調査で出土した土器などから15世紀末から16世紀はじめ頃であることがわかり、さらに“杉山の陣”についての古河公方・足利高基の古文書も発見され、関東中が戦乱となった長享・永正の乱において関東管領・山内上杉憲房が扇谷上杉氏に対抗するために築城したということがわかってきました。
(現地案内板より)

もときさん が  杉山城(埼玉県嵐山町) の写真をアップしました(2024-04-24)

模型 @嵐山町役場
模型 @嵐山町役場

杉山城跡は鎌倉街道を見下ろす丘陵上につくられています。傾斜が急な切岸、各郭にめぐらされた横堀と屏風のように連続する折れ、さまざまな形態の虎口などが複雑に組み合わされていて、高度な築城技術の粋を集めたこの城は、実戦のための城としての風格をもち、戦国期山城の最高傑作と高い評価を得ています。
(現地案内板より)

もときさん が  岩櫃城(群馬県東吾妻町) の写真をアップしました(2024-04-24)

潜竜院跡
潜竜院跡

戦国時代の天正十年(一五八二)三月、甲斐の武田勝頼は織田・徳川の連合軍に攻められていました。軍議の席上、真田昌幸は岩極域に勝頼を迎え入れ、武田の再挙を図ることを提案して許されました。昌幸は急ぎ帰国し、岩櫃山南面のこの地に勝頼を迎えるための御殿(現在は石垣が残るのみ)を三日間で造ったと言われています。
(現地案内板より)

もときさん が  杉山城(埼玉県嵐山町) を攻城しました(2024-04-23)

もときさん が  岩櫃城(群馬県東吾妻町) を攻城しました(2024-04-23)

もときさん が  長井坂城(群馬県渋川市) を攻城しました(2024-04-23)

入口(位置情報)から駐車スペース(位置情報)へ。本丸は断崖の際にありますが、柵や階段が設置されて散策しやすくなっています。堀ウォークが楽しい。

もときさん が  大胡城(群馬県前橋市) を攻城しました(2024-04-23)

巨大な要塞を思わせるような立派な堀、土塁です。広い二の丸に駐車できるのですが、桝形門跡の土塁が低く車が写真に写り込んでしまうので駐車位置に注意です。

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今日のレビュー

武田信玄 風の巻

武田信玄の一生を描き切った大作。何より、武田信玄の活動地域、すなわち信濃、上野、武蔵、相模、駿河、遠江、三河、東濃の諸城が描かれ、各城攻めの様子が描かれている点、攻城団の皆様にもぜひオススメしたいです。自分が攻城済のものだけでも、箕輪、小田原、鉢形、高遠、岩村、苗木は、描写はあったはず。
マイナーなお城もたくさん出てきますし、この地域に行かれる予定のある方は、読んでから行くといろいろと想像が膨らみます。

捷克千代(仮)さん)

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