まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2024-11-04) 10年以上前に亡くなった父親が集めていた切手(大部分は売却、使用済み)を引っ張り出し整理していたら、お城の切手を6種類見つけ出しました。 | |
まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2024-05-03) 快晴の中、本日は第60回小田原北條五代祭りに行ってきました。朝一で小田原に着きましたが、既に多くの方が来城されており、天守閣の入口には長蛇の列となっていました。私は事前にアソビューでチケットを購入していたので長蛇の列を横目で直ぐに天守閣には入れましたが、天守閣の中は人でごった返していました。その後、人気の少ない関東大震災で崩れた石垣をゆっくり見学して、開始40分前に銅門特設ステージ前で待機していました。 | |
まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-12-30) | |
まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-12-17) 今年もあとわずかとなりましたが、昨日年末恒例のお城EXPO2023に行き、午前中は会場内を見学して、午後は三浦正幸先生と宮武正登先生の特選プログラムを聞いてきました。 | |
まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-11-19) JR東日本大人の休日倶楽部趣味の会主催の「御三家水戸藩の城・水戸城を歩く」に参加してきました。この講座では普通は公開されない大手門の二階を見ることが出来るのと、二の丸角櫓が公開になってからまだ見ていないということで応募しました。 | |
まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-06-25) 今日は江戸城天守閣を再建する会が主催するオンライン講演「全国お城物語」として「郡山城の歴史~これまでの調査でわかったこと」について話を伺いました。講師は大和郡山市役所まちづくり戦略課小野大輔氏でした。まず最初に郡山城築城の歴史について、筒井重慶→豊臣秀長→増田長盛の豊臣期から、徳川の世になり筒井定慶→水野勝成と遷りかわり、特に水野氏の時代に本格的に復旧されたようです。次に郡山城の遺構の話ですが、天守台は有るものの、その上に天守があったかどうか解らなかったのですが、発掘調査の結果、天守台の上には礎石が確認され、確かに天守があった事が証明されたとの事です。しかし、どんな天守であったのかは図が残されていないので今だ解らないとのことです。その他、付櫓台、白沢門・極楽橋、追手門、追手東隅櫓、追手向隅櫓、および多聞櫓の発掘調査結果について説明されていました。最後に石垣調査結果について説明されていましたが、幾度となく修復されているので、古い積み方の石垣の上に新しい積み方の石垣が載っている部分が至る所に見られるそうですし、石垣には転用石が多く用いられているとのことです。今回の講演で使用した資料には写真が多く用いられていたので非常に解りやすく、9月に行われる京都での団員総会後に攻城する予定ですので良い予習となりました。 | |
まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-06-11) 本日東京会場にて城郭検定3級にチャレンジしてきました。出題内容はというと、過去問、過去問に多少手を加えた問題が大部分を占めており、初めて見る問題は2割程度でしょうか、過去問をみっちりやってきた私としては初めて見る問題がどれだけ出来ているかが合否の分かれ目かな、と思います。問題の最後にアンケートがあり時間があったので答えていたら、城郭検定をどこで知ったかの選択肢に「攻城団」があるではないですか!違うけど「攻城団」にチェックしてしまいました。自分が参加しているサイトの名前がある事に嬉しく感じました。今一番注目している城のコンテンツは?には迷うことなく「攻城団」と書きました。 | |
まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-06-07) 今日会社の帰り川崎駅で南武線から京浜東北線に乗り換える際、連絡通路で「重ね捺し」の文字が目に飛び込んできました。今度はどこのお城?と思い、帰宅を急ぐ乗客でごった返す中、立ち止まって柱に張ってあるポスターを見てみると、JR東日本が主催の「東海道川崎宿起立400年」を記念しての南武線沿線のスタンプラリーの様でした。重ね捺しといえば丸岡城、福井城、そして地元東京の滝山城を思い浮かべますが、JR東日本のスタンプラリーもついに重ね捺しの時代が来たのかと、感動しました(ちょっと大げさ)。ポスターを見る限りこれまでのお城の重ね捺しと同様5つのようです。これから重ね捺しのスタンプラリーが増えてくることを予感させる出来事でした。一応、歴史関係ですので時間を見つけて参加してみようかと思います。関東在住の方で興味がある方はどうぞ。 | |
まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-06-04) 先日三浦半島の油壺にある荒井海岸で道寸祭りがあり、そこで三大古弓の一つ笠懸を初めて見ました。ちなみに残りの2つは犬追物と皆さんもご存じの流鏑馬です。三浦道寸は鎌倉時代の三浦氏の末裔(宝治合戦で滅んだと思っていましたが・・・)で戦国時代北条早雲に滅ぼされました(その時、三浦一族が海に身を投じて海面が油の様に血で覆われたので「油壺」と呼ばれるようになったとのことです。恐ろし~)。三浦氏は代々弓の名手であり、鎌倉時代笠懸は良く行われ、源頼朝も見学したそうです。ちなみに、流鏑馬と笠懸の違いは、流鏑馬は一方通行で水平の的を射るのですが、笠懸は往復して的を射るもので、往路は流鏑馬と同じ水平の的を射る(写真右上)のですが、復路は左右の地面に置かれた的を射る(写真左下)のでより実践的な競技だったそうです。なお、道寸祭りと同時に現在東京大学付属三崎臨海実験所となっている新井城の一般公開も行われ、敷地内の堀跡などを見学することが出来、充実した一日を過ごすことが出来ました。 | |
まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-04-09) 団員の皆さんが利用している青春18切符を今回初めて購入してみました。元を取らなきゃという気持ちで、これまで蓄えていた関東近辺の攻城計画を精力的に遂行してきましたので、今回まとめて報告します。 | |
まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-24) 昨日は滝山城の重ね捺しスタンプの5つ目を押す為に八王子城に行ってきました。八王子城は既に3回攻城しているので、今回は少し趣向を変えてJR高尾駅から徒歩20分程の所にある八王子城ハイキングコース入口(写真上段左)から八王子城跡を目指すことにしました。いきなり入口から急な登り坂で、直ぐに息が上がってしまい、先が思いやられると感じましたが、頻繁に休憩を取りながら、唐沢山、熊笹山を経由して登り始めて1時間40分程で何とか富士見台(写真上段右)に到着する事が出来ました。ここ富士見台からは晴れていれば富士山を眺めるということでしたが、あいにく当日は富士山が厚い雲に覆われており眺めることが出来なくて残念でした。富士見台で昼食を取り、息を整えて「いざ八王子城へ」という気持ちで勢いよく山を下りていき、大天守手前の大堀切(写真中段左)の底を通って10分程で大天守(写真中央右)に辿り着きました。その後、松木曲輪、本丸(写真下段左)、小宮曲輪等を見学して、八王子城管理棟に下りてきました。今回の目的でもある重ね捺しスタンプを押す為に八王子城ガイダンスセンターに向かい5つ目のスタンプを押しました。今回のスタンプで滝山城の引橋上に黒い兵が現れ、ちょっと感動しました(写真下右)。その後、御主殿跡等を見学して、土日、祭日のみ運行している高尾駅北口行きのバスに乗って帰りました。なお、重ね押しスタンプの台紙は八王子城ガイダンスセンターにも置いて有りましたので、八王子城攻城後に滝山城を攻城しても完成可能かと思います。 | |
まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-19) 今日は江戸城天守閣を再建する会が主催するオンライン講演「全国お城物語」として「石垣の堅城「盛岡城」の城構えは意外にもコンパクト」について話を伺いました。講師は盛岡城趾歴史的建造物復元調査アドバイザーの神山仁氏でした。盛岡市は米紙ニューヨーク・タイムズの12日付電子版で「2023年に行くべき52カ所」の旅行先として2位に選ばれた(1位はロンドンで、日本の都市では福岡市が19位)そうで地元は盛り上がっているそうです。と言うことで、盛岡城の説明にも自然と力が入っているように思えました。最初に東北地方の石垣造りの城の説明があり、仙台城、会津若松城、白河小峰城など東北地方を代表するお城の紹介があり、引き続き盛岡城の石垣についての説明に入りました。使用されている石は花崗岩が使用されており、とても「丈夫」な石垣のようで、修復の際も交換したのは4個の石のみで従来の石を再利用することが出来たとのことです。東日本大震災の際も盛岡城の石垣はびくともしなかったそうです。また、江戸時代には頻繁に石垣の新造、改修が行われており、金沢城と並んで「石垣の博物館」と言われています。一方、盛岡城の構造としては連郭式縄張の平山城で小さなお城です。自称天守は御三階櫓で弘前城の天守より小さかったとのことです。しかし、小さな城を大きく見せる工夫として、淡路丸にある巨大サイズの二重櫓、「一二三段」などが紹介されていました。巨大サイズの二重櫓は本丸の御三階櫓と重なると遠くからは五重天守のように見えたのかもしれないとのことです。今は雪に覆われていますが、春を迎えたら「2023年に行くべき52カ所」の2位に選ばれた盛岡市を訪問したくなるような講演会でした。 | |
まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-13) 昨日、「海城サミット 2023 in Chiba」のイベントの一つとして金谷城の主郭部分の限定公開が有り行ってきました。写真にある通り快晴のもとでの開催となりました。先ずは、TJKリゾート金谷城の会議室で千葉城郭保存活用会の方から金谷城の説明を聞き、館内に展示されている出土物の説明を聞きました(写真上段左)。このイベントの為に出土品の実物を展示して頂いているとの事でした。その後、外に出て二の郭虎口跡を見学しました(写真上段右)。ここの案内板も、このイベントに合わせてここの所有者である「東京都情報サービス産業健康保険組合」様が新しく設置したそうです。いよいよ通常は入ることが出来ない本郭部分へ登って行くことになります。先ずは西側中腹の郭で保存会の方のお話を聞きました。この郭から、館内に展示されていたかわらけの多くがこの郭から出土されたそうです。更に登って行き南北の見張り郭を繋ぐ平場に到着しました(写真中段左の手前)。活用会の方の説明ではここまでの道と本郭の整備もこのイベントにあわせて所有者の方が整備されたそうです。その後、アルミ梯子を使って一人ずつ平場の南側にある外海を見張る郭に登って行きました(写真中段左の奥)。外海を見張る郭には手書きの「(金谷城跡)」の標識がありました(写真下段左)。昔ここに陸軍の大砲が置かれていたそうで、今でも砲台の一部が残っていました。当然外海の眺めは最高です。次に、平場の北側にある湊側を見張る郭に徒歩で登って行きました(写真中段右)。そこからは湊が一望できます(写真下段右)。1時間半ほどの金谷城主郭部分の見学でしたが、海城を堪能させて頂きました。 | |
まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2022-12-30) 今年も残すどころ、今日と明日の2日となりました。今年は8月に行われた攻城団の団員総会に初めて参加して、団員の方と交流することが出来ました。また、群馬戦国御城印サミット、お城EXPO2022でも、団員の方と交流できて、充実した1年であったと感じています。来年もよろしくお願いします。 | |
まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2022-12-17) 今日はお城EXPO2022に行き、江戸城を再建する会のオンライン講演会で数回視聴させて頂いた三浦正幸先生の厳選プログラムを聴講してきました。三浦先生は来年の大河ドラマ「どうする家康」の建築考証を担当され、CGを駆使して今までにない大河ドラマになると宣伝されてました。楽しみです。さて、厳選プログラムのタイトルは「徳川の城と戦略」です。豊臣秀吉は石垣と天守にこだわっていましたが、徳川家康は石垣や天守に関心がなく、土手の城であり、石垣や天守を建てるようになったのは征夷大将軍になってから天下普請によって他人に作らせたので、自分で作ったことがあまりないそうです。家康が凄いのはその城の作り方です。例として家康の城づくりの集大成である名古屋城の築城にあたっては西国の外様大名に小刻みに担当箇所を割り振り、名古屋城がいかに攻め落とすことが出来ない城かを実感させ、家康には勝てないと植え付けた事から、大阪の陣の際には豊臣家に味方する西国の外様大名がいなかった、この事例を踏まえて三浦先生は「名古屋城は戦略兵器である」と言っており、お城を抑止力として使用していたなんて、家康さんは凄い人だった事を再認識しました。厳選プログラムが終わってから休憩所で、短時間でしたがたなとすさん、利信さん、axiaさんと再会でき、充実した一日でした。 | |
まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2022-11-20) 最近、中井貴一主演の映画「大河への道」を見ました。この映画は千葉県香取市の出身で日本地図を最初に作った伊能忠敬を主人公にした大河ドラマを企画するというストーリーです。この映画の中で伊能忠敬は日本地図が完成する3年前になくなっていることが紹介されており、日本地図を完成させたのは伊能忠敬と思っていた私としては衝撃的な内容でした。と、いうことで伊能忠敬に関心を持ち、香取市にある伊能忠敬記念館(写真は記念館入口)に先日行ってきました。伊能忠敬は50才で江戸に出るまでは佐原の酒造業等を営んでおり、その土地の名士だったそうです(伊能忠敬旧宅の展示あり)。その後江戸に出て、以前から関心を持っていた天文や暦学を学び始めたそうです。伊能忠敬といえば日本地図ですが、本人は当初日本地図を作ることに興味はなかったようです。そして73才でなくなりますが、その後門徒達が引き継ぎ、没後3年後に完成したとのことで、この記念館には50才までの前半生とそれ以降の日本地図作成のまでの後半生、その当時の測量機器が展示されています。完成された日本地図は緯度は現在とほぼ同じ、経度は若干誤差が大きかった様で、その当時の時計の精度からするとやむを得ない事だったそうです。なお、この日本地図は大正時代中期まで使用されていたとは驚きです。私も定年が間近に迫ってきた現在、伊能忠敬の様な充実したセカンドライフが送れれば良いな、と思った次第です。 | |
まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2022-10-09) 今日は江戸城天守閣を再建する会が主催するセミナー「全国お城物語」として「南海の伊達 宇和島伊達家九代の居城 宇和島城について」について話を伺いました。講師は宇和島市教育委員会の西澤昌平氏でした。宇和島城は空角の経始(あきかくのなわ)と言われるように5角形を4角形に誤認させるような縄張となっており、この5角形は藤堂高虎が造ったと言われています。しかし、その後の高虎の縄張に5角形はないことから偶然ではないかとの説もあるそうです。また、高虎が建てた慶長天守は望楼型で岩山の上に天守が建てられたいたと推定されており、一方現在の天守である寛文天守は層塔型で完成された天守と言われているそうです。その寛文天守ですが、一般には石落し、狭間がなく、かつあからさまに玄関がある所から「泰平の世の天守」と呼ばれていますが、すべての壁が窓になっている為に狭間がないのですが、その窓に付けられている格子を見ると断面5角形になっており、広角に敵を射つことが可能で、防御能力はかなり高いということです。従って、この宇和島城は「泰平の世の天守」ではなく、象徴性・機能性・防御性が考えられた伊達な天守であると言われていました。宇和島城に行った際には本日伺った話を元に細部までじっくり見てみようと思います。 | |
まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2022-10-07) | |
まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2022-09-24) 本日、熊本城オンラインツアー2022に参加しました。当初参加者40名ということだったので、狭き門かなと感じていたので、当選のメールを頂き「やったー」と思っていたのですが、参加してみると応募者全員参加しているとのこと、応募者多数でZOOMの契約内容変更したのかな?それはさておき、内容は熊本城の今をテーマで、現在の復興状況を確認することが出来ました。進行のMCの女性の方と加藤清正公の二人が見学通路から地震で上部に段差の出来た二様の石垣、解体前の宇土櫓、復興が完了し現在公開されている天守閣などを紹介していました。所々で、見学通路から見える崩れた石垣が画面に映し出されるのを見て、完全復興はまだまだだな、と感じました。予定では復興完了は16年後との事ですので、引き続き支援を行っていくと供に、一度は攻城して見学通路から熊本城の復興状況をこの目で確認したいと思わせるオンラインツアーでした。 | |
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