まーちゃん

まーちゃん()さん 大老 サポーター   フォロー

2022年5月現在攻城団に登録されている東京都のお城は全て攻城し、現在は神奈川、埼玉、栃木、茨城、千葉に行動範囲を広げて攻城中。月一ペースで地方遠征を行い、日本100名城、続日本100名城のスタンプ集めに邁進中の山城大好きの初老のおやじです。

まーちゃんさんのタイムライン

まーちゃん

まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2024-05-03)

快晴の中、本日は第60回小田原北條五代祭りに行ってきました。朝一で小田原に着きましたが、既に多くの方が来城されており、天守閣の入口には長蛇の列となっていました。私は事前にアソビューでチケットを購入していたので長蛇の列を横目で直ぐに天守閣には入れましたが、天守閣の中は人でごった返していました。その後、人気の少ない関東大震災で崩れた石垣をゆっくり見学して、開始40分前に銅門特設ステージ前で待機していました。
今年は初代北条早雲役は俳優の合田雅吏さん(中段写真の中央、及び下段左の写真)、北条氏政役は大河ドラマ「真田丸」で氏政を演じた俳優の高嶋政伸さん(中段写真の右側)、北条氏直役に俳優の柳沢慎吾さん(中段写真の左側、及び下段右の写真)に加え、今回60回のスペシャルゲストとして四代目市川ぼたんさん(北川殿役)(上段右写真の左側)と八代目市川新之助さん(伊勢新九郎役)(上段右写真の右側)が加わり豪華な武者行列となりました。特に合田さんと柳沢さん両名は小田原市出身で観光大使も務められており、地元でも人気がありました。この5人にMCの方を加えて銅門特設ステージで行われたトークショーは楽しかったです。コロナの影響で今回の様に大々的に実施するのは5年ぶりとの事で、馬出門から市内に総勢1700名もの武者行列が出て行きました。なお、市内は身動きできないぐらい人でごった返しており、結局武者行列が終わるまで身動きできない状態でしたが、戦国時代の絵巻物の世界を見ることが出来、充実した一日でした。
最期に小田原市では「「北条五代」を大河ドラマに!」をスローガンに署名活動をされているので、機会がありましたら是非御署名をお願いします。

まーちゃん

まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-12-30)

今年も残すところ明日1日となりましたが、団員の皆さんにはたくさんのあっぱれを頂きありがとうございました。
本年最後の攻城として、昨日小田原城の総構を巡ってきました。農地、住宅地の間に堀、土塁が残っていることに驚くとと共に、5回目の攻城となりますが難攻不落の小田原城を改めて感じた次第です。
今年は団員総会、玄蕃尾城ツアーなど多くの団員の方とお話が出来て良い一年でした。
来年も体に気を付けながら攻城に励み、皆さんに再び会えることを楽しみにしています。
それでは良いお年をお迎え下さい。

まーちゃん

まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-12-17)

今年もあとわずかとなりましたが、昨日年末恒例のお城EXPO2023に行き、午前中は会場内を見学して、午後は三浦正幸先生と宮武正登先生の特選プログラムを聞いてきました。
三浦先生の演題は「現存16.5天守」となっており、現存16.5天守?現存12天守は知っていますが・・・講演の冒頭、現存12天守と呼んだのは三浦先生が最初で、それから調べて行くと現存天守は16.5あるとのお話です。加えられた4.5天守は何かというと熊本古城初代天守宇土櫓、松本城初代天守の松本城乾小天守、清洲城天守だった名古屋城西北隅櫓、今は佐志神社拝殿である笠間城天守、そして残りの0.5は福山城伏見櫓に使われている伏見城初代天守の柱材だそうです。宇土櫓、松本城乾小天守、名古屋城西北隅櫓の3つは櫓としてはかなり大きいので現存天守でも不思議ではないですが、笠間城天守に付いては少し驚きました。私も現地に行ってその建物を見たことがありますが、2層の元天守の1層部分であるとは思わず、天守台の上に昔神社が建てられた程度しか思っていませんでした。これからの調査次第では現存天守がもっと増えるのではと思わせる夢のあるお話でした。なお、三浦先生自ら皆さんで広めて下さいとのことでしたので、敢えて記載させて頂きました。
一方、宮武先生は原城攻防戦について話をされ、私が昔教わった「島原の乱」が現在の教科書では「島原・天草一揆」に変わった理由がよく理解出来る内容でした。なお、宮武先生の講演では例年最後に抽選会があるのですが、昨年は当たらなかったのですが、今年は5名中2番目に当選し、佐伯城跡のトートバッグと原城のエコバッグを頂きました。何と前日は職場の忘年会でファンヒーターが当たっていますので2日連続の大当たりで本年の締めくくりとして最高の一日となりました。

まーちゃん

まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-11-19)

JR東日本大人の休日倶楽部趣味の会主催の「御三家水戸藩の城・水戸城を歩く」に参加してきました。この講座では普通は公開されない大手門の二階を見ることが出来るのと、二の丸角櫓が公開になってからまだ見ていないということで応募しました。
午前中は講師の水戸市教育委員会歴史文化財課の関口慶久さんから水戸城の特徴、歴史、構造と建物に続いて、大手門の発掘調査、大手門・二の丸角櫓の復元に付いて中身の濃い話を伺いました。
午後からは「水戸学の道」散策マップの慶喜(将軍)ルートに準じて約3時間の散策となりました。三の丸土塁・堀、弘道館無料エリアを見学して、大手橋を渡り、大手門(写真右上)二階の見学となりました。大手門の前で瓦塀、礎石の説明を受け、大手門二階(写真左右中)に上り見学しました。二の丸側に窓はないが、何故?との質問が関口さんにあり、三の丸側からの絵図、古写真は存在するが二の丸側のものは確認されていないとのことで二の丸側に窓を設けるかどうか議論されたそうですが、同時期に建てられた弘前城の櫓門を見ると内側に窓がないことから窓は付けなかったとの事です。ちなみに写真左中の階段は見学者用に作られた階段でオリジナルではなく、写真左中の左側に写っている長方形の穴が連続して開いている板がオリジナルの階段だそうです。いかにも急ですね。
次は今回初めての二の丸角櫓の見学です。大手道に面した二の丸角櫓入口から二の丸角櫓まで片道350m有るの通路をゆっくり歩くこと約5分、二の丸角櫓(写真左下)に到着しました。角櫓の前で「ひかりつけ」と呼ばれる加工(写真右下)に付いての説明があり、この加工は礎石の高さに応じて木材を削り出すそうで、相当の熟練が必要とのことです。中に入ると一階には資料が展示されており、二階は立入禁止になっていましたが、今回特別に二階にも上がらせて頂きました。この二の丸角櫓ですが、絵図、古写真が残っていたのは本丸角櫓の方でしたが、本丸角櫓をモデルに二の丸角櫓を復元したそうで、JR水戸駅を下りて直ぐに目に入るようにして、ここに水戸城があった事をアピースするためとの事(写真左上)です。確かにこの角櫓がないと木々が生い茂った高台にしか見えませんので、納得です。なお、土塀に狭間がありませんでしたが、江戸時代後半に描かれた絵図にも狭間はなかったとのことで、その状態を再現したそうです。
その後、本丸の薬医門を見学してJR水戸駅に戻り解散となりました。充実した一日を過ごしました。

まーちゃん

まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-06-25)

今日は江戸城天守閣を再建する会が主催するオンライン講演「全国お城物語」として「郡山城の歴史~これまでの調査でわかったこと」について話を伺いました。講師は大和郡山市役所まちづくり戦略課小野大輔氏でした。まず最初に郡山城築城の歴史について、筒井重慶→豊臣秀長→増田長盛の豊臣期から、徳川の世になり筒井定慶→水野勝成と遷りかわり、特に水野氏の時代に本格的に復旧されたようです。次に郡山城の遺構の話ですが、天守台は有るものの、その上に天守があったかどうか解らなかったのですが、発掘調査の結果、天守台の上には礎石が確認され、確かに天守があった事が証明されたとの事です。しかし、どんな天守であったのかは図が残されていないので今だ解らないとのことです。その他、付櫓台、白沢門・極楽橋、追手門、追手東隅櫓、追手向隅櫓、および多聞櫓の発掘調査結果について説明されていました。最後に石垣調査結果について説明されていましたが、幾度となく修復されているので、古い積み方の石垣の上に新しい積み方の石垣が載っている部分が至る所に見られるそうですし、石垣には転用石が多く用いられているとのことです。今回の講演で使用した資料には写真が多く用いられていたので非常に解りやすく、9月に行われる京都での団員総会後に攻城する予定ですので良い予習となりました。

まーちゃん

まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-06-11)

本日東京会場にて城郭検定3級にチャレンジしてきました。出題内容はというと、過去問、過去問に多少手を加えた問題が大部分を占めており、初めて見る問題は2割程度でしょうか、過去問をみっちりやってきた私としては初めて見る問題がどれだけ出来ているかが合否の分かれ目かな、と思います。問題の最後にアンケートがあり時間があったので答えていたら、城郭検定をどこで知ったかの選択肢に「攻城団」があるではないですか!違うけど「攻城団」にチェックしてしまいました。自分が参加しているサイトの名前がある事に嬉しく感じました。今一番注目している城のコンテンツは?には迷うことなく「攻城団」と書きました。
今は試験も終わり、17時から始まる加藤理文先生の東京会場特別講演会に参加するため、近所の図書館で本を読みながら時間が来るのを待っているところです。
2級、1級を受けられる方、頑張って下さい。

まーちゃん

まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-06-07)

今日会社の帰り川崎駅で南武線から京浜東北線に乗り換える際、連絡通路で「重ね捺し」の文字が目に飛び込んできました。今度はどこのお城?と思い、帰宅を急ぐ乗客でごった返す中、立ち止まって柱に張ってあるポスターを見てみると、JR東日本が主催の「東海道川崎宿起立400年」を記念しての南武線沿線のスタンプラリーの様でした。重ね捺しといえば丸岡城、福井城、そして地元東京の滝山城を思い浮かべますが、JR東日本のスタンプラリーもついに重ね捺しの時代が来たのかと、感動しました(ちょっと大げさ)。ポスターを見る限りこれまでのお城の重ね捺しと同様5つのようです。これから重ね捺しのスタンプラリーが増えてくることを予感させる出来事でした。一応、歴史関係ですので時間を見つけて参加してみようかと思います。関東在住の方で興味がある方はどうぞ。

まーちゃん

まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-06-04)

先日三浦半島の油壺にある荒井海岸で道寸祭りがあり、そこで三大古弓の一つ笠懸を初めて見ました。ちなみに残りの2つは犬追物と皆さんもご存じの流鏑馬です。三浦道寸は鎌倉時代の三浦氏の末裔(宝治合戦で滅んだと思っていましたが・・・)で戦国時代北条早雲に滅ぼされました(その時、三浦一族が海に身を投じて海面が油の様に血で覆われたので「油壺」と呼ばれるようになったとのことです。恐ろし~)。三浦氏は代々弓の名手であり、鎌倉時代笠懸は良く行われ、源頼朝も見学したそうです。ちなみに、流鏑馬と笠懸の違いは、流鏑馬は一方通行で水平の的を射るのですが、笠懸は往復して的を射るもので、往路は流鏑馬と同じ水平の的を射る(写真右上)のですが、復路は左右の地面に置かれた的を射る(写真左下)のでより実践的な競技だったそうです。なお、道寸祭りと同時に現在東京大学付属三崎臨海実験所となっている新井城の一般公開も行われ、敷地内の堀跡などを見学することが出来、充実した一日を過ごすことが出来ました。

まーちゃん

まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-04-09)

団員の皆さんが利用している青春18切符を今回初めて購入してみました。元を取らなきゃという気持ちで、これまで蓄えていた関東近辺の攻城計画を精力的に遂行してきましたので、今回まとめて報告します。
1回目
実施日:2023年3月5日
下車駅:群馬県高崎駅
訪問先:箕輪城、寺尾中城、寺尾茶臼山城
箕輪城は本丸・蔵屋敷間木橋が目的で再攻城したが、本丸側が工事中で渡れなかったので残念でした。
2回目
実施日:2023年3月11日
下車駅:静岡県三島駅
訪問先:大平新城・古城、泉頭城、戸倉城
大平新城は簡単に攻城できたが、その先の大平古城はバードな攻城となりました。
3回目
実施日:2023年3月19日
下車駅:千葉県久留里駅、姉ヶ崎駅
訪問先:久留里城、姉崎陣屋、鶴牧城、椎津城
これまで閉鎖されていた林間歩道が通れたのでラッキーでした。
4回目
実施日:2023年4月1日
千葉県館山駅
平松城、滝田城、館山陣屋
今日から自転車のヘルメットが努力義務となったのでヘルメットをかぶって攻城しました。
5回目
実施日:2023年4月8日
下車駅:静岡県東静岡駅、静岡駅
訪問先:駿府愛宕山城、駿府城、静岡市歴史博物館
4月2日オープンした静岡市歴史博物館(写真)に行ってきました。徳川家康の一生、今川氏の歴史、そして東海道と駿府城下町の繁栄について勉強することが出来ました。
以上5回ですが、滝田城の時に通り雨に遭遇して足止めを食らいましたが、概ね天気に恵まれ、楽しいお城巡りをすることが出来ました。なお、5回の交通費を普通に支払えば合計約23,000円となりかなりお安くなることを実感しました。

まーちゃん

まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-24)

昨日は滝山城の重ね捺しスタンプの5つ目を押す為に八王子城に行ってきました。八王子城は既に3回攻城しているので、今回は少し趣向を変えてJR高尾駅から徒歩20分程の所にある八王子城ハイキングコース入口(写真上段左)から八王子城跡を目指すことにしました。いきなり入口から急な登り坂で、直ぐに息が上がってしまい、先が思いやられると感じましたが、頻繁に休憩を取りながら、唐沢山、熊笹山を経由して登り始めて1時間40分程で何とか富士見台(写真上段右)に到着する事が出来ました。ここ富士見台からは晴れていれば富士山を眺めるということでしたが、あいにく当日は富士山が厚い雲に覆われており眺めることが出来なくて残念でした。富士見台で昼食を取り、息を整えて「いざ八王子城へ」という気持ちで勢いよく山を下りていき、大天守手前の大堀切(写真中段左)の底を通って10分程で大天守(写真中央右)に辿り着きました。その後、松木曲輪、本丸(写真下段左)、小宮曲輪等を見学して、八王子城管理棟に下りてきました。今回の目的でもある重ね捺しスタンプを押す為に八王子城ガイダンスセンターに向かい5つ目のスタンプを押しました。今回のスタンプで滝山城の引橋上に黒い兵が現れ、ちょっと感動しました(写真下右)。その後、御主殿跡等を見学して、土日、祭日のみ運行している高尾駅北口行きのバスに乗って帰りました。なお、重ね押しスタンプの台紙は八王子城ガイダンスセンターにも置いて有りましたので、八王子城攻城後に滝山城を攻城しても完成可能かと思います。

まーちゃん

まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-19)

今日は江戸城天守閣を再建する会が主催するオンライン講演「全国お城物語」として「石垣の堅城「盛岡城」の城構えは意外にもコンパクト」について話を伺いました。講師は盛岡城趾歴史的建造物復元調査アドバイザーの神山仁氏でした。盛岡市は米紙ニューヨーク・タイムズの12日付電子版で「2023年に行くべき52カ所」の旅行先として2位に選ばれた(1位はロンドンで、日本の都市では福岡市が19位)そうで地元は盛り上がっているそうです。と言うことで、盛岡城の説明にも自然と力が入っているように思えました。最初に東北地方の石垣造りの城の説明があり、仙台城、会津若松城、白河小峰城など東北地方を代表するお城の紹介があり、引き続き盛岡城の石垣についての説明に入りました。使用されている石は花崗岩が使用されており、とても「丈夫」な石垣のようで、修復の際も交換したのは4個の石のみで従来の石を再利用することが出来たとのことです。東日本大震災の際も盛岡城の石垣はびくともしなかったそうです。また、江戸時代には頻繁に石垣の新造、改修が行われており、金沢城と並んで「石垣の博物館」と言われています。一方、盛岡城の構造としては連郭式縄張の平山城で小さなお城です。自称天守は御三階櫓で弘前城の天守より小さかったとのことです。しかし、小さな城を大きく見せる工夫として、淡路丸にある巨大サイズの二重櫓、「一二三段」などが紹介されていました。巨大サイズの二重櫓は本丸の御三階櫓と重なると遠くからは五重天守のように見えたのかもしれないとのことです。今は雪に覆われていますが、春を迎えたら「2023年に行くべき52カ所」の2位に選ばれた盛岡市を訪問したくなるような講演会でした。

まーちゃん

まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-13)

昨日、「海城サミット 2023 in Chiba」のイベントの一つとして金谷城の主郭部分の限定公開が有り行ってきました。写真にある通り快晴のもとでの開催となりました。先ずは、TJKリゾート金谷城の会議室で千葉城郭保存活用会の方から金谷城の説明を聞き、館内に展示されている出土物の説明を聞きました(写真上段左)。このイベントの為に出土品の実物を展示して頂いているとの事でした。その後、外に出て二の郭虎口跡を見学しました(写真上段右)。ここの案内板も、このイベントに合わせてここの所有者である「東京都情報サービス産業健康保険組合」様が新しく設置したそうです。いよいよ通常は入ることが出来ない本郭部分へ登って行くことになります。先ずは西側中腹の郭で保存会の方のお話を聞きました。この郭から、館内に展示されていたかわらけの多くがこの郭から出土されたそうです。更に登って行き南北の見張り郭を繋ぐ平場に到着しました(写真中段左の手前)。活用会の方の説明ではここまでの道と本郭の整備もこのイベントにあわせて所有者の方が整備されたそうです。その後、アルミ梯子を使って一人ずつ平場の南側にある外海を見張る郭に登って行きました(写真中段左の奥)。外海を見張る郭には手書きの「(金谷城跡)」の標識がありました(写真下段左)。昔ここに陸軍の大砲が置かれていたそうで、今でも砲台の一部が残っていました。当然外海の眺めは最高です。次に、平場の北側にある湊側を見張る郭に徒歩で登って行きました(写真中段右)。そこからは湊が一望できます(写真下段右)。1時間半ほどの金谷城主郭部分の見学でしたが、海城を堪能させて頂きました。

まーちゃん

まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2022-12-30)

今年も残すどころ、今日と明日の2日となりました。今年は8月に行われた攻城団の団員総会に初めて参加して、団員の方と交流することが出来ました。また、群馬戦国御城印サミット、お城EXPO2022でも、団員の方と交流できて、充実した1年であったと感じています。来年もよろしくお願いします。
さと、今年の当初の目標ですが、「西国の城を攻城する」としました。今年を振り返ると、3月の島原半島の原城、島原城、日野江城など、5月の石川、福井の鳥越城、一乗谷城、丸岡城など、8月の清洲城、勝龍寺城など、そして11月は岡山城、福山城、広島城など、これまで以上に西国の城を攻城した1年でした。来年も引き続き西国に足を伸ばして攻城していきたいと思っています。
また、城葱さんの「城もなか」道中記を読んで、ご当地お城もなかを購入するという新たな楽しみも出来ましたので、来年も体力、財力の続く限り攻城していきたいと思います。
それでは、コウノ団長、団員の皆さん、良いお年をお過ごし下さい。

まーちゃん

まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2022-12-17)

今日はお城EXPO2022に行き、江戸城を再建する会のオンライン講演会で数回視聴させて頂いた三浦正幸先生の厳選プログラムを聴講してきました。三浦先生は来年の大河ドラマ「どうする家康」の建築考証を担当され、CGを駆使して今までにない大河ドラマになると宣伝されてました。楽しみです。さて、厳選プログラムのタイトルは「徳川の城と戦略」です。豊臣秀吉は石垣と天守にこだわっていましたが、徳川家康は石垣や天守に関心がなく、土手の城であり、石垣や天守を建てるようになったのは征夷大将軍になってから天下普請によって他人に作らせたので、自分で作ったことがあまりないそうです。家康が凄いのはその城の作り方です。例として家康の城づくりの集大成である名古屋城の築城にあたっては西国の外様大名に小刻みに担当箇所を割り振り、名古屋城がいかに攻め落とすことが出来ない城かを実感させ、家康には勝てないと植え付けた事から、大阪の陣の際には豊臣家に味方する西国の外様大名がいなかった、この事例を踏まえて三浦先生は「名古屋城は戦略兵器である」と言っており、お城を抑止力として使用していたなんて、家康さんは凄い人だった事を再認識しました。厳選プログラムが終わってから休憩所で、短時間でしたがたなとすさん、利信さん、axiaさんと再会でき、充実した一日でした。

まーちゃん

まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2022-11-20)

最近、中井貴一主演の映画「大河への道」を見ました。この映画は千葉県香取市の出身で日本地図を最初に作った伊能忠敬を主人公にした大河ドラマを企画するというストーリーです。この映画の中で伊能忠敬は日本地図が完成する3年前になくなっていることが紹介されており、日本地図を完成させたのは伊能忠敬と思っていた私としては衝撃的な内容でした。と、いうことで伊能忠敬に関心を持ち、香取市にある伊能忠敬記念館(写真は記念館入口)に先日行ってきました。伊能忠敬は50才で江戸に出るまでは佐原の酒造業等を営んでおり、その土地の名士だったそうです(伊能忠敬旧宅の展示あり)。その後江戸に出て、以前から関心を持っていた天文や暦学を学び始めたそうです。伊能忠敬といえば日本地図ですが、本人は当初日本地図を作ることに興味はなかったようです。そして73才でなくなりますが、その後門徒達が引き継ぎ、没後3年後に完成したとのことで、この記念館には50才までの前半生とそれ以降の日本地図作成のまでの後半生、その当時の測量機器が展示されています。完成された日本地図は緯度は現在とほぼ同じ、経度は若干誤差が大きかった様で、その当時の時計の精度からするとやむを得ない事だったそうです。なお、この日本地図は大正時代中期まで使用されていたとは驚きです。私も定年が間近に迫ってきた現在、伊能忠敬の様な充実したセカンドライフが送れれば良いな、と思った次第です。

まーちゃん

まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2022-10-09)

今日は江戸城天守閣を再建する会が主催するセミナー「全国お城物語」として「南海の伊達 宇和島伊達家九代の居城 宇和島城について」について話を伺いました。講師は宇和島市教育委員会の西澤昌平氏でした。宇和島城は空角の経始(あきかくのなわ)と言われるように5角形を4角形に誤認させるような縄張となっており、この5角形は藤堂高虎が造ったと言われています。しかし、その後の高虎の縄張に5角形はないことから偶然ではないかとの説もあるそうです。また、高虎が建てた慶長天守は望楼型で岩山の上に天守が建てられたいたと推定されており、一方現在の天守である寛文天守は層塔型で完成された天守と言われているそうです。その寛文天守ですが、一般には石落し、狭間がなく、かつあからさまに玄関がある所から「泰平の世の天守」と呼ばれていますが、すべての壁が窓になっている為に狭間がないのですが、その窓に付けられている格子を見ると断面5角形になっており、広角に敵を射つことが可能で、防御能力はかなり高いということです。従って、この宇和島城は「泰平の世の天守」ではなく、象徴性・機能性・防御性が考えられた伊達な天守であると言われていました。宇和島城に行った際には本日伺った話を元に細部までじっくり見てみようと思います。

まーちゃん

まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2022-10-07)

「群馬戦国御城印サミット第二弾」に出店する攻城団関係者の方への差し入れにと思い、城葱さんの「城もなか」道中記を参考にして八王子の千松園さんで八王子城もなかを購入してきました。八王子城には天守はなかったはずなのに何故か天守のもなか?細かいことは抜きにして、写真で見ると小さく見えたのですが、実際は大きくて,店員の方に「写真で見るより大きいですね」と話しかけると「そうなんです。うちのは大きいんです。他の店のはもう少し小さいです。」と話されていました。自分用に一個買って食べてみましたが確かにボリュームはありました。明日会場に持って行きますので待ってて下さい。

まーちゃん

まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2022-09-24)

本日、熊本城オンラインツアー2022に参加しました。当初参加者40名ということだったので、狭き門かなと感じていたので、当選のメールを頂き「やったー」と思っていたのですが、参加してみると応募者全員参加しているとのこと、応募者多数でZOOMの契約内容変更したのかな?それはさておき、内容は熊本城の今をテーマで、現在の復興状況を確認することが出来ました。進行のMCの女性の方と加藤清正公の二人が見学通路から地震で上部に段差の出来た二様の石垣、解体前の宇土櫓、復興が完了し現在公開されている天守閣などを紹介していました。所々で、見学通路から見える崩れた石垣が画面に映し出されるのを見て、完全復興はまだまだだな、と感じました。予定では復興完了は16年後との事ですので、引き続き支援を行っていくと供に、一度は攻城して見学通路から熊本城の復興状況をこの目で確認したいと思わせるオンラインツアーでした。

まーちゃん

まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2022-09-11)

今日は江戸城天守閣を再建する会が主催するセミナー「全国お城物語」として「日本屈指の山城「津和野城」と山麓にひろがる城下町」について話を伺いました。講師は津和野町教育委員会の宮田健一氏でした。津和野町は、津和野今昔~百景図を歩く~として日本遺産に登録されており、講演会の中では「津和野百景図」を元に城趾、及び城下町の説明をして頂き、写真が多く盛り込まれていたこともあり、津和野城、及びその城下町を疑似体験することが出来ました。説明の中でも三段櫓の石垣が残っていますが、絵図では二階櫓を三棟連ねて建て、城下からは三階櫓のように見えるようにしたのだろうとの話は感心しました。また、津和野城の歴史として初代城主の吉見氏は1554年陶氏、益田氏に包囲され、滅亡寸前であったが、毛利氏が吉見氏に加勢して、その動きに陶氏が包囲を解き、最終的には毛利元就が陶晴賢を厳島の戦いで滅ぼしたそうで、この地区の歴史に疎い私としては大変勉強となりました。次の城主は坂崎直盛ですが、この人物は大坂夏の陣に千姫を大坂城から救出し、最終的には千姫事件を起こして江戸で自刃したとの事です。その後は亀井氏が明治維新まで城主を務めたそうです。現在は出丸整備、山城整備が進み、週末には城趾がライトアップされており幻想的な世界を演出しているようです(是非見たい!!)。今回宮田氏のお話を伺い、直ぐにでも訪問したくなりましたが、行く前に津和野城周辺の歴史を調べてから訪問した方がより楽しめると思いますので、今回のセミナーはその一助になったと思います。

まーちゃん

まーちゃんさん が最近のひとことを更新しました(2022-07-31)

昨日、企画展「江戸城の事件簿」(写真右上)を見に国立公文書館(写真左上)に行ってきました。入場料は無料なので小さな会議室で数点の史料が展示され、簡単な説明が添えられてるだけと余り期待していませんでしたが、甘く見てました。冊子はオールカラーの8ページ、展示フロアーは1階の約半分(左右中)と江戸城で起きた刃傷、窃盗、事件、珍事件、江戸城の災害、幕末の江戸城、江戸城から皇居への7つのブロックに分けられ、事件の概要、展示史料部分の現代訳と解説が掲示されています。刃傷として歴史上有名な江戸城内での事件の他に職場でのいじめが原因で発生した松平外記刃傷事件を見て、江戸時代もいじめがあった事実を隠そうとする雰囲気があったことを知りました。また、珍事件として、正保3年3月26日、夜に切手門内に火の付いた凧が投げ落とされ、凧を禁止する命令が発せられた件、文化元年3月29日、江戸城内に犬が大手門から走り込み、大勢の足軽達が取り囲み、捕獲された件の2件が展示されており、楽しく見させて頂きました。また、展示史料一覧を見ると、江戸城本丸西丸図、安政武鑑等の旧蔵者が「外務省」となっており、なぜ外務省にそのような史料が保管されていたのか少し驚きました。企画展は9月11日まで開催されていますので、歴史に興味のある方はぜひ国立公文書館に足を運んで下さい。企画展見学後、基本展示「日本のあゆみ」も見学しましたが、16世紀初頭と推定される重要文化財の吾妻鏡の書写(写真左下)、官房長官が掲示した平成、令和の書(写真右下)などが展示されていました。基本展示は時間がなかったので、他の展示はよく見ることが出来ませんでしたので、再訪館したいと思います。

このアカウントをフォローすれば「最近のひとこと」などの活動履歴をもれなくチェックすることができます。
フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

古写真で見る幕末の城

現在では残っていない天守や門など今までは想像するしかありませんでしたが、この本で実際の形や風景を見ることができて感動しました。
たくさんのお城がこの1冊に載っているのも最高です。写真は大きくて迫力があります。
お城と一緒に写っている当時の人の服装(着物、袴)や記念撮影している様子なども見られて面白いです。

初芽さん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る