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詳細は以下でご説明しております。
安城古城(愛知県安城市) を攻城(2020/03/15) 社のある場所は土塁なのか宅地造成で削り残ったのか判断しかねるが、小高い場所にあり当時は安祥城を望めたのであろう。 |
川尻城(愛知県新城市) を攻城(2020/03/21) 公園の一部になっているが帯曲輪群が散策道になっているなど、縄張りの形を極力変えることなくセンスが良い。 |
石橋城(愛知県新城市) を攻城(2020/03/21) 堀もあり土塁も意外に高いが、単郭の縄張りのため野武士集団か野盗ぐらいしか守り切れないだろう。 |
古宮城(愛知県新城市) を攻城 |
塞之神城(愛知県新城市) を攻城(2020/03/22) 古宮城の西の抑えの支城で縄張りはしっかり残っている。現在は登山道で堀切が埋められて土橋状になっているが、本来の両端部の堀切は敵を遮断する役目で土橋はなく、南側にある竪堀とⅤ郭の東側の間から兵を出し入れして古宮城の後詰めをしていたと思う。 |
文殊山城(愛知県新城市) を攻城(2020/03/22) 「一夜城」の俗説はあるが、切岸は高く(約5m)主郭周りには土塁もある。自分の見立てでは樹木の伐採、伐根、切盛り土工事で1ヶ月。作事(柵、櫓、小屋)で1ヶ月。最低2ヶ月は掛かると思うが、当時の歩掛がわからないので断言できない。 |
三河亀山城(愛知県新城市) を攻城(2020/03/22) 三河亀山城からは石橋城、文殊山城、塞之神城、古宮城、川尻城が見渡すことができ、各々の城の距離感が近い。できれば徒歩で各城を巡れば高低差や臨場感が味わえる。また、作手郷を手中に収めるには、どこから攻めるか思案のしどころがありおもしろい。 |
高力城(愛知県幸田町) を攻城(2020/04/26) 山泉寺の周囲を探索したが、北側は宅地になっていて形跡がなく、石碑の周りも護岸が嵩上げされていて形跡がない。あるとすれば、山泉寺の南側は切岸のような場所がある。 |
坂崎城(愛知県幸田町) を攻城(2020/04/26) 柳川から近く、地形的に周囲は深田か湿地であっただろう。高低差はあまりなく、居館程度の縄張りしかないが坂崎古城が近くにあり、また高力城とは目と鼻の先ぐらい近く、有事があった際は高力城から後詰めが来るのであろう。 |
三河山中城(愛知県岡崎市) を攻城(2020/04/26) 縄張りは完璧に残っていて、土木系遺構もよい状態で残っている。 |
長沢城(愛知県豊川市) を攻城(2020/05/24) 舌状台地になっていて城を築きたくなる地形になっている。また、岩略寺城と東海道を挟み込む形になっていて境目の城として重要な拠点だったのだろう。 |
岩略寺城(愛知県豊川市) を攻城(2020/05/24) 整備は今一歩だが、縄張りはしっかり残っている。特徴として井戸の多さがあるが、位置的に疑問が残る。近くに後世に造られた猪垣があるように、後世に掘られた井戸以外の目的の穴があるのではないのか・・? |
坂本城(滋賀県大津市) を攻城(2020/11/14) コンクリートのない中世では波による浸食で石垣は原形をとどめていない。水城の現存の難しさ目の当りにする。 |
大津城(滋賀県大津市) を攻城(2020/11/14) 推定縄張り図は坂本城によく似ている。坂本城同様、本丸が湖に突出していたようなので、制海権を維持していなくては、すぐに落城しそうだ。 |
宇佐山城(滋賀県大津市) を攻城(2020/11/15) 北の峰の陣跡には石垣はなかったが、削平された曲輪群を見ることができる。宇佐山城は攻守面において、この陣跡がないと成り立たないと推測する。 |
壺笠山城(滋賀県大津市) を攻城(2020/11/15) 湖美が丘団地を抜け白鳥越えルートで攻城。近代に整備した跡もあり、それほど悪路ではない。壺笠山の北側にある「あほ(青)山」と言われている場所に陣跡があるらしいので探索してみたら曲輪群はなかったが、山頂は削平されていて構築物があったと思わせる石が散乱している。 |
田上山城(滋賀県長浜市) を攻城(2020/11/29) 曲輪の周囲は土塁が張り巡らされ、横矢、馬出しなど防御施設がしっかり残っている。南北の外郭には多数の兵が駐屯できる場所があり攻城していて楽しくなる城です。 |
賤ヶ岳城(滋賀県長浜市) を攻城(2020/11/29) お薦めは江土口→岩崎山→大岩山→賤ヶ岳ルートです。距離は長いが登りやすく岩崎山砦、大岩山砦、賤ヶ岳砦の位置関係や築城技術の違いがわかる。なぜ大岩山砦が真っ先に攻められたか分かった気がする。 |
牟呂城(愛知県西尾市) を攻城(2020/12/06) 北側に水堀、西と南側に深田がある小さな城だが、主郭の切岸は高く断崖(急傾斜地崩壊危険区域)になっている。 |
鳥羽川坂城(愛知県西尾市) を攻城(2020/12/06) 墓地の東側にある竹やぶに突入すると削平された曲輪群や切岸らしき場所があったが、入手した縄張り図と相違があり、近世に耕作地として整備した跡か判断できなかった。 |
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10月の定期ライブで榎本先生が推薦され、かつ来年の大河ドラマが平安時代が舞台と言うことで、予習のつもりで手に取りました。はっきり言って平安時代に関する知識はあまり有りませんでしたが、この著書には桓武天皇が都を平安京に移してから、摂関政治、院政、そして武士の時代までの約400年の貴族の権力闘争や平安京に住む人びとの営みを知る事が出来ました。特に関心を持ったのは平安京のトイレ事情で、汚い話もあり詳細は割愛しますが、テレビや映画ではなかなかお目にかかれない事なので興味深く読ませて頂きました。来年の大河まで時間はそう有りませんが、その前に是非読んでおく一冊だと思います。
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